再録 聖書とコーラン、処女。そしてクセ。
ロシア航空機自爆テロの可能性、パリでの7か所テロ。どちらも死を恐れないイスラム教徒(?)の可能性が大で、そもそも死んだらどうなるのか?という洗脳がされていないと行動へは移せないはず。コーランの中の言語から説いた「米原万理さん」の文章があったので再録します。キリスト教の処女懐胎の話から始まります。4月9日に書いたものです。ますますこの国も含めて、薄気味悪い世界になってきている。学生時代に16世紀の宗教戦争や十字軍戦争を少し勉強していたので、時代が逆戻りしている錯覚さえ覚えるのは私だけだろうか?
誰が書いた本か忘れたが(最近メモを忘れる)、聖書の中にある処女懐妊の話。『私は、ギリシャ語訳旧約聖書をつくった学者たちが、〈若い女〉というヘブライ語を〈処女〉というギリシャ語に誤訳し〈見よ、処女は、はらみ男児を産まん〉という予言を付け加えたとき、彼ら(翻訳者たち〉は大変なことをスタートさせたといえる』。ヘブライ語のままなら「見よ、若い女ははらみ、男児を産まん』という平凡な話になってしまう。もし、誤訳ならば、無意識な誤訳なのか、知っていての作為の誤訳ならその意図はなんだろうか。推理小説めいた話で、それでも処女懐妊を信じる人がまだまだいるわけで、そういう論争に私は入る言語力もないのでこの話はここまで。
次はコーランである。2006年に亡くなられた米原万里さんの遺作「他諺(たげん)の空似(そらに)」~ことわざ人類学~(光文社)(160p~162p)に『コーランには、苦闘の末、天国にたどり着いたイスラム教徒たちを〈HURが待ち受けている〉と記されている。このHURを神学者たちは〈処女〉と解釈してきた。72人の処女の妻に迎えられるのだというイメージが広がった。しかし、コーランの多くの語彙は古代シリア語やアラム語から借用されていて、このHURはアラム語で「白」を意味し、「白い葡萄」を呼ぶ略語としてたびたび用いられてきた。この解釈を発表した学者は身の安全のために偽名を名乗った。
天国に白い葡萄がたわわに実っていても、72人の美女にはかなわない。」葡萄をたくさん食べるために自爆テロに志願・参加する人間は、そういないとは思う。しかし、自分の肉親を次々殺され、職場や住居を破壊され、底なしの絶望状況に追い込んだアメリカやイスラエルの犯罪はとても真正な宗教を持つ者のすることではない。今回ははからずも、「若い女」「処女」の扱い・言葉をめぐって、翻訳という作業がどれだけ信者の信仰形態や言動に影響を及ぼすのか。
「敗戦」を「終戦」に、「値上げ」が「改定」に言い換えて明確な表現を避ける。江戸期の思想家・富永仲基が儒教・仏教・神道を国民性の違いで”くせ”と名付けた。儒教は文辞、いまの弁舌なりと。仏教は幻術なり。神道は隠す癖があると喝破した。隠す・・か。「倚(寄)らしむべし、知らしむべからず」が、ずっと続いてるのかもしれない。国民の生命・財産にかかわる重大な年金問題、沖縄返還交渉の内容、核兵器の3大原則を実は無視して空母寄港、福島原発の希望的観測ばかり発表した学者たち、大きな声で断定的に説教する人間には嘘が多い。聖書とコーランの話から話題が離れたが、富永仲基については、加藤周一著作集第3巻318~319pを参照されたい。31歳で 病死しなければ、個人名の出ない歴史を人類史上初めて書いていたかもしれない。
iida
ジャンルを問わず書を多読しているから相変わらず知識が豊富ですね。僕は何でもかじる程度の雑学で広く?浅くです。だから間違った事などを書いたりはしないか絶えず気になります。沖縄の話がでたところで、話は変わりますが、前にもお話した沖縄の海を埋め立てずに滑走路代わりに空母浮かべると言う僕の名案はその後、現地で反応ありませんでしたか?空母寄港とはニュアンスが少し違うとは思いますが?・・また原発と言えば我が第二の故郷福井の敦賀原発も廃炉決定ですが、福井には各電力会社の原子炉が14基位ありますから微々たるもの。全部廃炉にするにはこれまでの何倍もの費用と年月が掛かるのでしょうね。列島改造論も豊かな夢は実現しても補修メンテナンスの予算無視で進めた結果、今になってツケが回ってきています。地質調査専門家のお話では身近なところで、1972 札幌冬季五輪後の高速道路だって今や危険らしいですよ。走行中突然道路が無かったなんてゾッとしませんか?あれから43年経過、約半世紀です。大事にならなければいいのですが心配な事ばかり。
seto
明日の話は、悲しい話になる予定です。空母は反応ありませんでしたよ。ゼネコンは箱もの作って入金すればOkみたいなところです。困れば政治家に
泣きつけばいいわけだし。道路に限らず、高層マンションもどんどん減らさないといけないと思いますよ。解体にどれだけ、周りに迷惑をかけるかです。
昔の少年
ニュースによれば、とうとうドローンが殺人兵器として、あの首切り「ジョン」を狙ったらしい。無人機での攻撃は殺人行為の実感すらないのだろう。案の定フランスで報復事件が起きたが、何と首相はサッカー観戦していたと言う。やればやり返すの繰り返しも徐々にエスカレートしている。どちらかがやめなければ終結しないが、現在のところ仲裁に入り過激派勢力の拡大を止めることができる者はいない。地球上の生物の半分は良性で半分は悪性だとすれば、自然淘汰でバランスを保つくらいしか方法は無いのだろうか。もしも自爆テロが旧日本軍の神風を真似たとすればかつての日本にも責任はあるのかも知れない。攻撃される身になれば、恐怖心はドローンよりテロ、銃より刀やナイフだと思う。観戦中や観劇中にテロに遭遇する危険性大の海外旅行も、いよいよ危険な時代に入った。日本の立ち位置も微妙で間違いを起こさなければいいのだが。