思わず膝を叩いた一言だ。国立民族博物館館長の故梅棹忠夫さんの言葉。大学の教授連を皮肉って言ったと言われる。

たえず自己研さんを積んでいかないと、退廃を知るということになりますよ。批判がない世の中は、緊張を失って退廃していくしかない。退廃するのがまたいいんだという輩が多いから困る。世紀末の思潮だ。シャーロックホームズもロンドンチャイナタウンで麻薬を吸っていた、事件が無くて退屈なとき。厳しい解決困難な事件を待っていたのだ

梅棹さんは職員にたえず勉強と自己研さんを要求し、現状維持を退けた。NHKがあるときイメージ調査をして、一番変化を嫌う人たちはどこかとアンケートを取ったら「労働組合」がトップだった。大きな企業の労働組合はほとんど御用組合で、今なら本来、派遣労働を止めて正社員へ待遇を改善する動きをするなら、社会変革をも求める労働組合といえるけど、せいぜい2000円、3000円のベアアップと要求が小さい。

最近のマスコミ事件でNHKの関連会社の汚職を含めて、十分衣食足りるだけの待遇を受けているはずの職員が、NHKのタクシーチケット不正利用まで出てきた。衣食足りて退廃を知るを地でいっている。何でも人間は「もっと」「もっと」欲求が終わらない。

毎日の仕事がつまらない、刺激のない人生を送っているのだろうねと想像する。酒池肉林、博奕の世界麻薬の世界へは一直線だ。明日の暮らしをどうするか、月末の支払いをどうするか苦慮しつつ生きてる人間からみたら退廃以外の何物でもない。

人間は放っておくと同類が集まる。退廃の生き方にはそれを真似る人間が必ず横にいるものだ。しかもNHKの場合、関連会社というところはNHKからの天下りが多い。高い給与をもらい他人からみたら羨ましいと思うかもしれないが、本人にしてみれば本流にいたかったのが、飛ばされた感が強い。江戸の仇を長崎でではないが、本社の仇を関連会社で・・という生き方に変貌する人も多い。また関連会社しか知らない社員はNHK本体の社員や天下りの人間への待遇への嫉妬が渦巻き職場環境も悪くなる。

プライドだけは超一流だから、周りに迷惑だけは200%かける。何人もそういう人を私はみてきた。NHKではないけれど、民放でも似たり寄ったり。活字にならないニュースやスキャンダルは山のようにある。昔あった「噂の真相」の1行記事がそれを追いかけた。

自分のお金の家庭内スキャンダル程度なら許せるが(これだって離婚に至り、子供に大迷惑をかける場合がある)、国民の税金や会社の同僚たちが稼いだ金の猫ババだけは、許しがたい。十分、衣食足りてる連中が多いから、というより衣食足りているからさらにさらに楽に楽に快に快に向かうのかもしれない。いずれ来る死を前に、同じ死ぬなら生きてるうちに台風のような快楽を、お金に囲まれてパっと生きてやれと瞬間思ったのだろうね。一度うまくいくとまた同じことを繰り返す。バブル期にたっぷり稼いだ人に聞くと、あの時代もう一度来て欲しいと株をやって大金掴んだ人から聞いた。「株をやらないのはバカじゃないの?」とまで私は言われたこともある。

似たような思い付きの格言を下記に。駄作が多いけど。

・衣食足りて充実した引きこもりへ

・衣食足りてなお足りず証券へ

・衣食足りてもケチ道揺がず

・衣食足りても良心足らず

・衣食足らずとも懸命に働く

・衣食足らずとも隠徳を積む

・衣食足らずとも人に施す

・衣食足りても笑顔なし

・衣食足らずとも笑顔素敵

お粗末でした。

  1. 私の田舎の親戚にも宮大工の棟梁が居て、以前帰省した時に手土産を持って訪ねると、意外にも樽前神社の普請工事に長い間泊まり込んでいたと。知っていれば現場を訪ねたのに、と悔やんだものでした。宮大工の職人は全国でも少なくなったようですね。特に北海道は本州から呼ばれるケースが多いようです。確かに北海道の建築は洋風に近く日本独自の建造物は少ないですからね。

    • 宮大工の需要が神社仏閣、明治の建築物に限られていますから。宮大工の生業は仕事量が少なかった。しかし、完成までの年月は半端ではないですね。樽前神社の仕事とは、身近で、びっくrです。仕事ぶりを含めて会いたかったですね。

  2. 同類あい哀れむで、周囲が同じ境遇で満足する者、諦める者、道を外す者、自分の立場で最大努力する者など人生いろいろです。嫉妬、嫉みは道を踏み外すきっかけにもなり兼ねません。人それぞれですから他人様の事ばかり気にせず自己研鑽や自己投資に時間を費やした方が結果は自分の為になるでしょうね。

    • 人間弱い者で、自分がいつそうなるか知れたものではありません。人それぞれは正しいのですが、たえず「人を見ながら」生きているのが大半で、それが消費を駆動させ,ものを売れる原因をつくります。見える消費物、身につけたり、家であったり、車であったり、簡単に手に入る、お金と言う手段で手にできるものへは情熱を傾けます。自己研鑽や自分への投資(学び)に費やす人は少ないと思いますが・・・。

  3. サラリーマン時代は何も心配しないで働き、当たり前のように給与やボーナスを貰い、不満を言いながらも何となく暮らしていました。今になって振り返ると贅沢だったと思います。一人になってみると当時は甘かったものだと感じます。そして今更ながら無駄な時間を過ごしてしまったと後悔もします。時間は戻せないので、せめて残り僅かな時間を大切にしたいと思います。

    • サラリーマン時代を(無駄な時間)と表現するのですから、「自分のために生きられなかった」ということで解釈してよろしいでしょうか?会社の整理や同僚職員のためにあれこれ走り回ったりして、本来自分が好きな制作物づくりがおろそかになったのでしょうかね。時間はたっぷりありますよ。大丈夫です。

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