家庭の中での価値観
昨夜は50年以上付き合ってる小学校時代の三バカが集まり談笑した。結婚生活を30年・40年ともなると、家庭の中が奥様の絶対価値に充満されて、すっかり独占状態、寡占化が進み、ある種「そこの場はこうあるべき」姿として露呈してくることに気がついた。
自我流の掃除の仕方、料理の味付け、並べ方、飾り物の位置、トイレから玄関の置物の位置、私への説教の類型化(自動的な言葉選択・・裏を返せば私の言うとおりしなさい、話は最後まで聞きなさいという定言が控える)。きれい好きや整理能力、料理力、ゴミだし能力の高い夫へは苦情が少ないと思いきや、これはこれで「やりすぎる」とか「あんまりきれい好きも、あそこにゴミが溜まってる、トイレが汚いなどとうるさく指摘されるとたまらない」と。奥様族も勝手なものである。
要は家庭の中は「私のお城です。あなたは外でお仕事をして家庭を顧みず生きてきたから自業自得なのよ。家にいるときは私が先生であなたは生徒。しっかり教えますから覚えましょう。働けるうちはお金を稼いでいらっしゃいね」という感情があるのかもしれない。専業主婦で35年間生きてきたから、しょうがないところもあるが。電車に乗って、札幌へ出ると、なぜかほっとするのは「自由を確保できた」喜び。寝静まった夜にひとりパソコンへ向かう自由さにも似ている。ひとりっていいなあと実感する。危ない夫婦関係。
いずれひとりになる(先に逝くか、残されるかの違いはあるが)のだからね。なんだか、昔あった通い婚が結婚の理想形に見えてきましたね。古いかな。そうすれば嫌なところを見ずに表面的な付き合いのまま、真実に目を隠して生きられたのに。格言に「結婚生活は片目をつぶって生きる」という言葉があるが、定年後、毎日、これをかみしめて私は「結婚生活は両方の耳をふさいで生きる」ことも付け加えたい。
坊主の孫。
結婚はその時の勢いで最終章までは考えられずにここまで来てしまった感ですね。考えてみればまだ若い時分には随分我がままで身勝手な行動をして来た自分もあり、全て妻が悪いとは言えないですが、確かに権力者よろしく暴言を吐いたり仕切ったりは気になりますね。狭い家庭内に居る時間が長い為の一種の引きこもり病なのでしょうが、自分流を押し付けられるのは勘弁して欲しいですね。
seto
結婚後の人生が長いような短いような感じですね。自分の人生なんですが、どうもへそ曲がり遺伝子がたくさん人生の岐路でいたずらしたようで、苦労しなくていいことに関わったり、人助けと思ったら裏切られたり家庭の外で体験したことが家庭の中に入ってきて、夫婦間でいざこざ発生させてきました。これからも突然の事件に遭うと思うので身辺の覚悟をするべく生きていきたいと思います。