絶対的な価値観「健康」と「幸福」(平野啓一郎)
全文はこうだ・・・・。
平野 あらゆる価値観が相対化している現代、最後の最後に万人が否定しない絶対的な価値観が「健康」と「幸福」だ、と僕は思っています。この二つだけは誰も批判しないからこそ、危険なイデオロギーになり得る。「生命力の行方」~変わりゆく世界と分人主義~ 講談社59p 〈中島岳志さんとの対談で〉
1975年生まれの作家平野啓一郎さん。〈健康の帝国〉というブログを掲載したことがあるので平野さんのこの発言に膝を叩いた私である。
病院には来なくてもいい、薬なんて飲まなくてもいい、検査なんて何度もしなくてもいい、デパートの袋に貼り薬から漢方薬まで山のようにもらって帰る医療費1割負担の老人を見て、税金をたっぷりいただく病院や調剤薬局、薬メーカー、医師の暮らしを安定させるだけ〈健康という名のイデオロギーに全員麻痺しているのでは〉と疑念を持つのは私だけだろうか?健康に名を借りて既得権をむさぼる日本医師会と製薬メーカー、厚生労働省の罪は重い。
1か月に3回、私は血液検査をされたことがある。各病院で検査項目は違うからして欲しいといわれる。日を改めてコピーで持参して・・・でOKなはず。そうすれば医師は節税に貢献できるはず。絶対的な病気なら全力で治療をしてほしいけれど、多くの通うだけの患者で〈もう薬は飲まなくてOK〉サインをどんどん出してほしいものである。医療費の家計負担も減るし、それで死んだら死んだでしょうがない、次の世代に希望を託そう・・でいいではないか。
災害や事故や故意に死を迎えた人は気の毒であるが、医療制度の既得権益に浸かる多くの機関や人々がこの国の財政破たんに長い間、手を貸してきたという反省の声が出ないのも〈健康という万人が否定できない絶対的な価値観が、実はもうイデオロギーなっていますよ〉とアナウンスすることで失う利益を考えてのこと。個別の利益が全体の損出を招いている図式。政治家も選挙の投票率の高い年齢層だけに、この問題に踏み込めない。心臓の薬をもらいに2ヶ月に1回、近くの総合病院へ行くが、待合室は老人の海である。調剤薬局も満員。『変わったことない?』『いいえ』『では血圧測らせて』『はい』『120と67、いいですね』『次は●●月の●日で、心電図を撮りますから。お大事に』。本当の病人に病院を開放して迅速に対応してほしいと思っているのはわたしだけだろうか?
ホランペッター。
夏頃から月に一度か二か月に一度通院している呼吸器内科の専門医の先生は最近では珍しく聴診器を使います。ですから一々シャツをめくってお腹や背中を見せるのですが、何故か安心しますね。20数年前まで吸っていたタバコのせいで肺気腫に成りかけの兆候やら、肺炎の初期症状のような肺の下部分の薄い影など数か月前撮った3D画像で説明してくれます。『軽いとは言え呼吸器の病気?なのにトランペットやサックスを吹いても大丈夫ですか?』との私の問いに『大丈夫!かえって肺の鍛錬になるから』とも言ってくれました。初診のCT検査から4~5カ月過ぎましたので来月は半年ぶりにCTスキャンで結果を診ます。近所の電力会社の退職者に私のワイフが『うちの旦那は肺気腫って言われたらしいよ』と、彼が言ったそうです。『それ、もう治らないわ!』と。医者でもあるまいし、もう少し違う言い方があるのでは?と腹立たしくなりました。もっとも彼自身病気持ちで一本4万円とか6万円とかの注射を打っているのだとか、それも自慢ですかね。機械さえも金属疲労しますから高齢者はほとんどが何らかの病気でしょうね。
seto
肺についてはタバコの吸い過ぎか、入院したことがあります。しかし、肺の20%の肺胞が死んでいますから疲れやすい体です。北電の退職じいさん「お大事にしてください」でいいものをヒドイ科白吐きますね。さっき薬局へいきまして、酸素のボンベを売っていました。苦しいときに使えるかもしれないと思いましたが、深呼吸の癖をつければいいかなと思い買いませんでした。吹く楽器は体にいいですね。クラリネット演奏者が恵庭まで自転車でやってきたことがあります。「無理しないで」と言いましたが、また自転車で札幌へ帰りました。北広島まから自転車道路が白石まで舗装されているんですね。医師は3つのことをすればいいといいます。自分の手を患者に充てる、聴診器を持つ、患者をほめる、話をよく聞く。これでいいいんだと。
昔の少年。
最近亡くなったアントニオ・猪木氏ではないですが、『元気があれば何でもできる!』ですね。そのうえ『現金さえあれば幸福になれる!』でしょうか?。前者は何とかなっても後者には縁が無いですね。最近、徒歩とバスと地下鉄を多用して居ますが、通勤客たちの足の速さにはついて行けませんね。かなり無理しても無駄です。第一、最近の人達の体型と言えば背は高く足も長いので速いのは当然ですね。足の速さもさることながらコンコースの長い階段を一気に駆け上がり息も切らず悠々と歩く若者たちを見ると健康だなぁと感心します。一方自分は病気の自覚はありませんが、息を切らして遅れながら追従するだけで精一杯状態ですね。これも長年クルマ依存の生活を続けたツケでしょうね。ところで交通費ですが意外と掛かるものですね。改めて知りました。それにバスの運転って意外にも荒っぽいですね。
seto
階段があるところは私は行かず、エレベーターを探します。走るように階段を駆け上がったのは高校生まででした。バスや地下鉄は見る景色が違って楽しいですよ。車なら安全運転注視ですから、意外に人の観察は見えないものです。バスの荒い運転しているとJRもブレーキのかけ方ですが、夫婦ケンカを朝方してきたかな?とか私は想像します。車依存は治らなデス、寒くなると車車です。
昔の少年。
子供の頃、高熱を出した時などに昔は往診をしてくれました。今では殆ど無くなりましたね。個人病院クリニックも立派になって客を呼ぶ体制ですから、こちらから出向かなければいけませんね。これも大勢の患者(?)を診る事を前提としたシステムですね。本当に診なければならない患者がどれだけいるのかは疑問ですが、少なければ往診も可能な訳です。兎に角、近年は一億総人口皆患者の時代ですね。医者もビジネスマンになりました。
seto
近所に往診だけする医師が住んでいます。内科の先生も300m先なので突然死して死亡診断書を書くときはよろしく頼んでいます。医師のほうが私より年上ですからどうなるやら。内科は後継ぎがいないのでどうするのか?病院の売り買いもにぎわってます。道医師会の「医報」の最後のページに売り買いや後継ぎ募集が掲載されています。