市立図書館で不要本のリサイクルボランティアをしているが、昨年の12月27日からリサイクルBOX(満杯で300冊くらい入る)にキリスト教関係本が投げ込まれ、宗教本関連はリサイクルしないようにしているので、破棄のコーナーへ移動する。正月明けの6日、倉庫はキリスト教関係の本の山。白いBOXも3分の一は大型のキリスト教研究本。軽トラックで運んできたのかと疑って、図書館に聞いてみると、BOX横に置いていった本を管理人さんが倉庫まで運んでいたことが判明した。教会を閉鎖する勢いの本の量だ。英文の本もたくさんあるから、相当な知識人で牧師も兼任していた人なのかと想像した。ときどきエホバやモルモン教の本も見えて、ほかの宗教の勉強もしていたんだろうと推測。しかし、この半端ない量には怒りを覚えた私である。

1月6日、整理を終えて帰るとき、図書館員が寄ってきて「先ほど、80代のおじいちゃんと50代くらいの娘さんが大きな紙袋を下げてBOXに入れていった。それを何度も繰り返していたよ」と報告された。運び人は彼らだったんだと判明。自分の人生観を支えてきたキリスト教本をどんな気持ちで捨てるのかなと、今度はおじいちゃんの気持ちを察するようになった。団地にはルーテル教会があるだけだが。昔、子どもを連れて教会のバザーに行ったことがある。そこでベルリンの壁のコンクリートを200円で買った。牧師がたまたまベルリンにいて買ってきて、砕いてバザーで売っていたのである。ここの牧師さんかどうかは確認はしていないが。

どんなものでも捨てるときは、フライパン一つでも思い出があるものだ。主婦にとってのフライパンが牧師さんにとって宗教関係の本だったりする、捨てた本の中に子供向けの本もあった、シュバイツアーの伝記もある。彼は敬虔なプロテスタントだったし。それにしても英文のキリスト教学術書をよく集めたものだと感心する。札幌駅北口に昔、ルーテル教会あったが、私は5歳で退園した。お昼ご飯にするお祈りが嫌で逃げてきた。ドイツ人牧師が自転車で追いかけてきたと母は言うが、あきらめた。ルーテルという言葉に反応するのもそのときの幼児体験があるからだ。きょうは金曜日。土曜と日曜で二人でまたキリスト教関係本をどっさり持ってくるかどうか、来週の火曜日に判明する。できればそのおじいさんと話をしたいものである。

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