ブログで「ニュースが何もない日」を書いたことがある。自分自身や家族や両親、親戚、友人たちに異変が起きたら、それこそ大きな事件で大変だということはわかる。メディアが全世界にネットを広げていて、毎日毎日事件やニュースが次々起きるものだと感心するし、それを追いかける自分を自嘲することさえある。そんなことより、大事な日常の単調な暮らしを送るため、自分の足の具合であったり、財布の状態であったり、妻子の健康であったりする。貨幣が発明される前は、きっと食べ物確保と家族の健康、天候の具合、部落の一族の安定と長老と子供を大事にする習慣の維持であったろうと想像する。

事故で子どもを突然失った親が語るのは「もとの日常生活に戻りたい。子どもを返してくれ」であることは、習慣や日常感覚がいかに人それぞれの肉体に深く食い込んでいることかわかるというものだ。あたり前の人や物が無くなると「衝撃」が走る。穏やかな今日が終わったら、明日もきっと事件のない静かな一日でありますようにと祈りたいが、そうはいかない。突然、父の急死の電話があったり、銀行の倒産ニュースであったりする。事件は向こうからやってくる。求めなくても訪れる。そして大方、いいニュースは少ないものだ。しかし、日常の多くは多くの人の裏方仕事で支えられている。道路にゴミの散乱もなく、家庭のプラゴミと生ごみ、燃える紙ごみを決められた曜日に持っていく仕事、水や水道や電気のインフラを維持している人、事故なく電車を走らせている人たち、大雪の日、道をつけている人たちなど数え上げたらキリのない人たちに支えられていることに気づく。

  1. 日常と言えば毎日バスを利用する事が多いのですが、昨日も平常ダイヤに戻ったはずが、夜に乗車したのは私一人。大きな車体のバスと運転手さんに申し訳ない気がしました。それにしても最近の運転手さんは優しく丁寧なアナウンスと安全運転を完璧にワンマンでこなしていて大変だと感じます。しかも若い女性ドライバーさんも居てあの巨体のバスを難なく操作しているのを見ると感心すると同時に時代もすっかり変わっている事に気づくこの頃です。ただ変わって居ないのは一部の乗客の人達で『黙乗』などとステッカー掲示にも関わらず、掛かって来たであろう携帯電話に大きな声で応答したり、雑談したりしているのは殆どがマナーの悪い年配者ばかりで情けなくなります。コロナ禍でのマナーも一部で守れなくなって来ているのも事実ですね。『喉元過ぎれば何とやら』この年末年始期間中の道外・海外からの来道者も多かったのでコロナの感染拡大の再来が無ければと祈るばかりです。

    • ワンマンバスや運送者も助手がいません。ガソリン車もそうです。市電も昔は車掌がいましたがワンマンです。女性ドライバーも勤め先としてドライバーは男女平等賃金ですから暮らしも安定しますね。市中の現場は活躍する女性が多いのに、議員はさっぱりです。ボスのおもねる女性議員ばかり、議員バッジを外して生きていってほしいものです。「阪急電車」という映画に大阪のおばちゃんを皮肉ったシーンが何度も出てきます。最後はガツンとおばばちゃんに説教されますが、いまは注意する人が圧倒的に少なくなりました。バスの運転手がマイクで「静かにしなさい」というアイディアもありますが、子供の声を吹き込んで「静かにしてね」と流すのはどうでしょうか?

  2. 昨日もある人とお話していたら、将来展望について聞かれました。が、即答はできませんでしたね。ただ難しい時代には間違いなく、将来性といっても見通せないのも事実です。これから何をすれば良いのか?それともこれまで通りで良いのか?など自問自答のこの頃です。『時代の先取り』などと言われますが、先に見える物に気づけば良いのですが、よほど新しい発想でもない限り置いて行かれそうですね。しかし一方では古いものへのコダワリもチラホラ垣間見えますから、前ばかり気にせず、時には振り返る事も大切かも知れませんね。

    • 先は読めませんが、貧乏に耐える企業、貧乏に耐える家庭、貧乏でも楽しめるキャラクター、見栄を張らない地味な人生、必要のないものだらけの消費社会に踊らないこと、CMは軽蔑する事。隣近所で困った人がいたら助けること。2023年のテーマは世界じゅう貧乏だといいうことです。テレビや芸能やスポーツは浮いたわずかなあだ花にしかすぎません。いずれしおれます。アリや蝶や鳥や犬やネコと同列の人間だと思えば貧乏こそが自然のように思えませんか。漫画家ヤマザキマリのエセイにこの手の文章が山のように出てきますよ。「壁」をつくるところから富の偏在が生まれてきますね。

  3. 亭主の仕事は家庭内では殆ど理解されずに長年過ぎていますが、考えてみれば実際のところ裏方ですね。仕事の内容の細かな説明もせず、ただ黙々と過ごして来た感があります。気が付いてみれば、自分の好きな事の幾つかも捨ててしまっている事にも気づきます。好きな事を全てやって居れば裏方仕事は出来ませんからね。会社や家族や誰かの為に使う時間が増えれば増えるほど、比例して裏方仕事も増える訳です。世の中すべて、裏方で成り立って居ると言っても過言ではありませんね。

    • 「筑紫哲也ニュース23」(金平さん著)を読んでいて、番組作りに動員される人たちの多さにびっくりします。映画のエンドロールで延々出てくる人の名前、ああいう人や協力者がいないとつくれないんですね。毎日、燃えるゴミ、プラゴミ、生ごみを地区別に足早に集めて回る市の外郭団体(第三セクター)には頭が下がります。尊い仕事で「市長より給与上げるといいね」と妻と話しています。JR駅の除雪も高齢者がせっせとやってます。踏切の線路の雪や氷も外注した企業の非正規雇用おじさんです。市役所も半分は非正規雇用、図書館は全員が第三者に運営委託でボーナスもありません。ある人が「正社員という制度を廃止したらいいのでは」と提案しています。正社員が既得権集団になって、日本の改革や発明を阻止していると言うのです。組合も正社員のための既得権集団で全国の公務員の雇用を守り、「クソどうでもいい仕事」に時間と無駄なエネルギーを行かっていると。あちこちの現場を観察していて、市民や国民とじかに接する仕事が、安全を構築する仕事に目を向けようとしない、どこか仕事を下に見下げる国になってしまったと思いますね。

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