現代は他人の楽しみを邪魔する楽しみに目覚めた時代
一度に5~6冊は平行読書するので、出典は忘れたが、表題の「現代は他人の楽しみを邪魔する楽しみに目覚めた時代」というフレーズが気に入ってメモをしていた。池田清彦さんかもしれない(最近、彼の本よく読む)。
昨日の権力の源泉はいったいどこからきたの?という謎を出しておいたが、どこなんでしょうね。わかりやすく欲としての権力を見るといいかも。会社員なら人事ですね。それが誰であるかによって、人生変わりますからね。ただ殺されないからご心配なく。心配し過ぎて自死する人はいるが・・・。人事権はあっても殺人権はないし、彼もさらに上位の権力に振り回されている。いまなら社長も株主に支配されているといえるかな。
権力欲というのは小さく言うと、人の楽しくやっていることを邪魔をするところから始まる。そういう人の欲望の集大成が政治権力。だから寝室にまで権力は入ってくる。全戸に監視カメラが入って、会話まで盗聴されて、怪しい科白を吐くと、天井から秘密警察が降りてくる近未来映画があった。(未来世紀ブラジルか?)特に禁欲的な男(性生活が上手にいってない男たち)や女にもてない男の権力欲求は強いね。権力者を好きな女(金や地位)はいるかもしれないけど、それは権力があるからで、なくなれば離れていくのは目に見えている。あなた自身を愛しているわけではないわけだ。尊敬はしてないだろうね。失ってわかることですね。
表題も、実は権力による、幸せ人間への破壊か嫉妬から生じるのかもしれない。介入や突っ込み、漫才の世界の影響が蔓延したせいとも思われますね。テレビのお笑いはこのイデオロギーを蔓延させていることに気づかないかな?漫才コンビを見ていると、どちらかが権力を行使して相手方を小ばかにするパターンが多く、いくら笑いを取るためとはいえ、遣り過ぎではないかと筆者は思う。そして相手の頭を叩くタレントまで出る始末。しかし、男と比べて女性は家庭内では猛威を奮ってるかもしれないが、権力欲は小さくて、せいぜい自分の影響が及ぶ範囲だ。男みたく抽象的・観念的な世界へは飛んで行かない。
邪魔する楽しみの起源は、漫才番組やアンパンマンのドキンチャン、他人の楽しい性生活を羨んだ男たちにあるのかもしれない。女性向けのバイアグラも出てきたようで、女性の男性化、ますます進行です。「現代は他人の楽しみを邪魔する楽しみに目覚めた時代」という表題だ。邪魔する人間は邪魔することで得られる何かがあるんだ。それは「こっちを見て」という単純な動機かもしれない。深い意味があるわけではないかも。
待てよ、一神教の神はたしか猛烈に嫉妬深い神ではなかったかな?他の神や偶像を崇拝すると嫉妬で、相手を焼き殺していたのではなかったか?を思い出した。ユダヤ教のヤーヴェは戦争の神だしね。そこで調べてみた。「ヘブライ語は母音を書かないので、YHWHはエホバとも、ヤーウェとも読めます。(ありてある者)の意味。ふだんはその呼び名を避けて、(主)と言います。ヤーウェは嫉妬深い怒りの神ですが、もとはシナイ半島辺りの戦争神で、それを、カナンに侵入するユダヤ各部族が共同で祀ったもの」。ヤーウェがキリスト教では神へ、イスラム教でアッラーへ変身していくと考えると、わかりやすいと思うね。余談でした。引用文は橋爪大三郎著「世界がわかる宗教社会学入門」(ちくま文庫53p)
邪魔をする楽しさは、私の推理では実は神が楽しんでいた所業と考えるとどうだろうか?神への冒涜な発言と言われるのを承知して。凄い話になってしまった。まさにこれこそ「古代につながる生活者の目」の本領発揮だ。
匿名
他人の邪魔をすることで楽しいと言えば、現代の犯罪には「愉快犯」があるが、確かに注目されたい願望が動機のようだ。小さな組織の中で権力を得た?者が自分流を押し付けようとすれば、靡く者も、背く者も出るが、靡く者は可愛がられて巧く使われ、背く者は排除される。その作業が人事となり結果的に追放される事もある。人の心を弄ぶ事に快感を覚えているような小さな組織のサディストの権力者のもとに身を置いた事があるが2年と持たなかった。同期に入社した者は一人も居なくなっていた。その後の彼の取り巻きには似た性格の者と崇拝者のみが残った。パワハラは益々エスカレートしているに違いない。自身が蒔いた種でいつか自分を刈り取る羽目になる事も知らずに。