ネットバカ~インターネットが私たちの脳にしていること~第4章深まるページ
第1章は9月1日、2章は9月8日、3章は9月11日掲載でした。きょうは第4章「深まるページ」。記録に留められる媒体についての話から。
すごく大事な話が書かれてある。「古代世界に黙読の習慣はほとんどなかった。新しく登場した写本も、それに先立つ粘土板や巻物がそうであったように、読者が集団であろうとひとりであろうと、つねに音読されていた」(90p)西暦380年「告白」を書いたアウグスチヌスがミラノ司教が音読をしていない姿に驚愕の感想を書いているくらいだ。
なぜそうなるのか?粘土板を見るとわかるけど、文字と文字の間に切れ目がなく言葉が続いている。それは当然、言語の起源が話し言葉であったことを反映している。「続け書き」。単語同士が分かれていない。意味は主に抑揚によって、どの音節を強く話すかで聞き手は理解した。この音声文化の伝統が書き言葉の文化をも支配していた。
書き言葉が自立していくのは、ローマ帝国崩壊後、しばらくしてからだ。識字能力のある人々~修道士・学生・商人・貴族~は増えた。新しく出る写本も実用的な内容本が多く、余暇や学問のためではなかった。西暦1000年を超えて、単語のスペース空けがアイルランドとイングランドで始まり、ヨーロッパへ広がっていった。耳から目(黙読 読書)に比重が移行した。
しかし、ここで大脳の使われ方に変化が生じる。人間の脳の自然状態は、動物界がそうであるように、注意散漫な状態である。しかし、黙読は「没頭」を要求する。「われわれの感覚は変化に合わせて微調整される。静止している物、変化しないものは風景の一部になる」。集中していると周りが気にならなくなるということだね。そして、自然状態の大脳が集中力のある、持続性のある(本を読むために)脳へ変化すると言うのだ。新しい大脳の神経リンクが構築される。単語間のスペースができたことで、書き手は自由にペンを取れるようになり、因習にとらわれない、懐疑的な思想や、異教的な宗教や思想まで表現できるようになった。
自分の夢やエロチックな詩も書けた(口述なら恥ずかしくて読み上げられない)。そうした社会でグーテンベルグ(ドイツの金属加工職人)がヨハンフストから借金をして、ワイン製造の圧縮機を改良し、文字をにじませることなく羊皮紙や紙に写し取ることを可能にした。金属活字にぴたりとつく油性のインクを使って。初めに刷ったのはカトリック教会の免罪符だったが大きな夢は聖書だった。3年かかり総ページ数が1200に及びわずか200部を刷って、グーテンベルグは資金が尽きた。印刷業を廃業した。金を貸したフストがグーテンベルグ一番弟子ペーター・シェーファーと協力して販売と製造を合体させて大儲けをした。
1620年フランシス・ベーコンは「印刷機の発明より大きな力と影響力を人間に対して与えることは、どんな帝国にも宗派にも、星座にもできなくなったように思われる」「新学問」より。中国からの紙の輸入も増えて、新刊本が続々低価格で供給された。彼の発明から50年の間に生産された本は、それ以前の1000年間に筆写者たちが作った数と同じである。
当然、安手の小説や、インチキ理論、扇情ジャーナリスト、プロパガンダや大量のポルノも市場に押し寄せた。イタリア好色本も人気だった。(閑話休題・・いまと同じだね。媒体が変わっても)しかし、そういう時代であっても貧しい人や識字能力がない人、孤立していた人、無関心な人もたくさんいた。が、読むことと書くことは「市民の主たる二つの属性」になった。電子書籍に移行しても「読み」は続いている。そして「深い読みを要求する」ページも多い。
読み手と書き手間に、高度な共生関係が入り刺激を与え合って、書き手は安心して冒険の海へ乗り出していける。〈今の村上春樹みたいだ)。「文学や芸術家は、味や手触り、匂いや音を言葉だけで複製してしまう妙技がある」。文学や芸術は「読者自身の持っていた知覚を変える」能力もあるのだと。大脳の神経可塑性を思い出していただきたい。ラジオやレコード、映画、テレビに対しても同様に「知覚の変えさせて」我々の脳内の神経回路を変化させているはずだ。
まだ、インターネットが脳に与える影響について出てこない。かろうじて感覚の変化が沢山の文字や芸術に接することで大脳の神経リンク構築に寄与するという話ですね。グーテンベルク、もう少し頑張れば大金持ちになったのに残念です。