日本という国名は、西暦8世紀大宝律令に出てくるが、これはあくまで中国の中華思想から出てきて、その根拠はお日様は東から上る、日本の地理的な位置は『日の』『本(もと)』だからで、中国から見て日本(日のもと)で日本とうわけ。別に日本が日本と命名したわけではないのかもしれない。アメリカにしたって冒険家アメリゴベスピッチから取ったし、ボリビアもシモンボリバルという独立の英雄から命名。自国名を自国人が命名したケースは少ないかもしれない。

ところで日本列島に人が住んだのが、いまから約4万年前。旧石器時代と呼ばれて2万5千年くらい続く。そこから縄文時代が1万5千年前に始まり、1万2千年続き、土器の有無だけが旧石器との違い。だから弥生時代はわずか3千年しか経過してないわけである。縄文が突然終わって次に弥生が始まるという歴史はないわけで、お互い並行して住んでいた時代も長いと思う。ネアンデルタール人とクロマニヨン人が雑婚して、縄文・弥生と同じく同時代を生きていたのである。北海道のアイヌがいつごろから住んでいるのか、諸説あって明確には言えないが、けっこう新しい。アイヌといっても一つの人種ではないし、オホーツクアイヌやサハリンから来たアイヌもいる。縄文人とアイヌとの交わりがあったのかどうか?沿海州あたりから来た縄文人ならここにアイヌの先祖もいたはずだから。私の中で縄文とアイヌが重なってしょうがない。

千歳埋蔵文化センンター 撮影筆写 動物型土製品  国指定重要文化財

時間を一直線に考えすぎると、どうしてもAが終わってBの時代と、受験生の好きな年表になるが、近くは明治時代も活躍したのは江戸時代の旧幕臣の人たち。文化や風俗も色濃く江戸を体現している。だから平成の今の世も、昭和が到る所で見られる。現在は令和5年。35歳以上は全員、昭和生まれだし、親が昭和生まれだと、その子供たちも昭和のエートスを子供たちに伝え残していると考えるのが自然である。しかし、エートス(文化や雰囲気や風習や時代の雰囲気など)といえば、たとえば、ある人は朝から晩までローマ時代の本ばかり読み、ある人は昆虫記を読み続けて、現代人がローマ市民に見えてきたり、昆虫のアリの世界が会社に見えてきたりするから不思議だ。

結局、向かう対象によって、自分の意識が規定されるともいえて、その人が好きな世界にはまればはまるほど、現代が本人の好きな世界との相似形になってくるという仕掛けだ。亡くなった札幌で有名な精神科医師と原稿の校正のついでに雑談したことがあるが、彼自身、鬱と躁の二極性の障害を持っていた。患者は心を彼に開くのである。他人事のようには応答しないからである。他人と自分の境界線が曖昧であることの幸福感というか、重なるところが多くて、生きた会話をできる安心感。

屁理屈のようであるが、歴史も重なる時代、AとBが明確には分かれていないよ、重なっているんだよと思えば、反対語や対立語、国境線の曖昧さをも容認する寛容さ(まあ50年も経過すればその世代が解決するでしょう)が必要な地上になってきていると思うのである。

  1. 弥生人の末裔。

    ロシアが最近、アイヌはロシア人であって、多くが住んでいた北海道は当然ながら元々ロシアの領土だと主張しているのも一理あるのかも知れないですが?当時は北海道もロシアも国名としては無かったと考えれば、どちらのものとも言えないかも知れないですね。ロシアだの北海道だのと決めつけられない一面もある訳で、言い換えれば現在のロシア地方、現在の北海道地方くらいにとどめておいた方が良いでしょうね。アイヌも最近では貴重な先住民族として取り上げられている一方で、縄文時代の遺跡や遺品なども文化財として発掘や研究が盛んですね。と、考えればアイヌ民族も然りですが縄文人や弥生時代の末裔なども居る筈ですが、何故かどこかで消えてしまって、いきなり現代人と言う訳ですから、それも納得できないですよね。実は自分は弥生人の生き残りだったりして?なんて考えてみたりしますね。それが証拠に、父親が土器を作っていて象形文字を刻んでいたのですから。父は陶器職人で若い頃に小樽のお金持ちの米問屋の若旦那が始めた陶器製造会社に全国から呼ばれた職人の一人で、手宮の洞窟に行って閃いて、陶器に象形文字を刻んで小樽焼と銘打って栄えたそうです。父はその後美瑛に暫く住んで、今度は十勝岳で十勝石を砕いて十勝焼の創作に励んだ後、東京に戻り、絵付師として自分の窯で焼いて商売も栄えたそうですが、戦災ですべてを無くして田舎に疎開しました。偶然にも私も北海道に移住したので、父に手宮の洞窟の写真を撮って来て欲しいと言われ、その理由を知った訳です。もっと不思議なのは小樽焼を続けている人が人間国宝と聞いて更に驚いた訳です。生前の父に話すと、当時の仲間の誰かの息子あたりじゃあ無いのかな?との答えでした。欲の無い父は余り気にしない様子でした。ですから私はルーツをたどれば弥生人の末裔だったのではないでしょうか。(?)

    • 土器を始めたのは縄文人ではなかったかな?なぜ、土器を作り出したのかは不明です。激しい火焔土器は縄文時代の中期で、岡本太郎に衝撃を与えたもの。中部から東日本・北日本で縄文土器は出てきます。縄文に作られた土器が農耕が始まって、もみや木の実や種を入れたものへ使われ続けたというのが私の理解です。現代、縄文ぶーむですが。手宮洞窟はさらに古く、旧石器時代の古代人の作品の名残(絵)だと言われてますよ。それにしてもお父さんの焼き物や様々な石を刻む仕事に情熱を傾けていた素晴らしい人生を送っていたのですね。戦争なければ大成したかもしれませんね。

    • ロシアについて書くことを忘れてました。江戸時代からロシアは南へ不凍港を探して、日本と貿易したがってました。ラッコやアザラシやクマや獣の皮ですね。当然、沿海州にいたアイヌたちもいて北海道に渡り、現地のアイヌと抗争したこともあります。函館が良港だったからここに拠点をつくりましたね。ロシア正教会も作りました。戦後、留萌から釧路まで北はロシア、南はアメリカで分割する話をロシアが提案、アメリカに拒否されました。石狩湾新港は、ロシアとの大量貿易ができるよう、大型タンカーが横付けできる深さに掘ってます。天然ガスやシベリアの木材を輸入できるようにね。プーチンが亡くなれば、期待できる資源外交になると思いますよ。

  2. 憎まれっ子世に憚るでなかなか思う様に行きませんね。外交は両国にとって良い結果になるのでしょうが、何故か逆の方向に行きたがるのは何故でしょうね。大きな国ほど、さらに国土を広げたがるのは何故でしょうね。他国を侵略して虐殺までして。いい死に目に会わないでしょうね。

    • 21世紀になって、相変わらずロケットと戦車が国境を行きかいます。人類は退歩しているとしか思えませんね。というより、昔から変わらない。独裁者や権力者にはそれなりの死に方が待ってると思いますよ。いくら金を積んでも寿命だけは買えません。

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