作家吉村昭「白い道」(岩波新書112p)のなかに宇和島市での講演のくだり。調べたい人物の資料探しをするために一人旅をするが、「全国いろいろなところを歩くんですけど,その中で自分のウィスキーのボトルを置いていあるのは札幌と長崎、そして宇和島の三つの都市だけです。札幌は一本で、長崎は二本、この宇和島には二本ある。私がどうしてボトルを置くかというと、しばしば来るということと同時に、この三つの都市が好きだということにもなるわけです。」(110p)「この三つの都市に共通している点は、皆さんはおわかりにならないでしょうが,私がよそ者だから感じるのですけれども、排他性がないということですね」。排他性がないということは,誰にもどこにも開かれてある、そういう生き方が基本にある町だということだ。他人に対しても新しい知識についても開かれてある進取性。「特に長崎は排他性がなくて,非常に旅人に親切である。江戸時代から全国からの留学生を受け入れたり、オランダ人、中国人、ロシア人、アメリカ人など異国の人も受け入れてきた歴史がある。」私は10ヶ月ほど三河の岡崎で暮らしていたが、歴史の町ということで遊ぶところはないし、喫茶店は8時には閉まる。よそ者に優しくない町だわ。それでいて車のナンバープレートの三河(トヨタの牙城なのに)を外して(名古屋に替える人も多い)。今では違うと思うが、名古屋市内を三河ナンバーで走ると田舎者扱いされるメンタルは今では消えているとは思うが・・・・・。なんだろうね。宇和島藩の話に戻ると、四国の僻地にある印象だが,幕末に伊達宗城(むねなり)は幕府に非常な影響力を持った。徹底した倹約政策を実施して経済力があった。藩の中で意思統一が見事にされていた。さらに蘭学、西洋の学問にも開かれて全国指名手配の髙野長英を連れてきて飜訳の仕事をしてもらう。寛容さ、自由さがある。京都で感じた自分の生まれの来歴自慢もなく(札幌はどこからでもやってきた人の集団だ)隣接する恵庭市に住んでいるが、どうも息苦しい。自衛隊の町であり、ゼネコンが市政を牛耳るところもあり、自由度が足りない。JRで札幌に行くとホットする。言葉でいえない空気感だ。現在の札幌駅の北口で生まれた私である。

 

  1. 北海道は札幌に来て半世紀にもなるのですが、知らない土地なのに来たその日から見ず知らずのアパートの住人の主婦らしき女性に『おばんです』と笑顔で声を掛けられ、初めての方言に一瞬戸惑ったものの、此方も笑顔で『どうも』と返しました。アパートの直ぐ裏のラーメン店のご主人も何かと面倒をみてくれ、合う人毎に親切で『大阪とは違うなぁ』と感じたものです。実は北海道に来る前に生まれ故郷の東京で少し勉強する準備までしていたのですが何故か上野駅から北海道行きの特急に乗ってしまいました。札幌は3か月ほどで、次は京都で仕事をするつもりでしたが、これも何故か止めて住みついてしまいました。当時の札幌は都会人と違う人達が大勢居て住みやすかったのでしょうね。排他性など全く感じなかったですね。それに北陸の田舎で感じた慣習や付き合い方にも若干の抵抗と都会での冷たい人間関係も十分味わった後でしたから尚更だったのでしょう。驚いたのは女性の言葉が東京下町風で男っぽかった事です。それはそれで飾りっ気が無く好感が持てましたね。兎に角、日本の中の自由圏のように感じたものです。全国津々浦々から入植され苦労を重ねて開拓された先人達の共同体気質が今も息づいているのでしょうね。長崎にも負けてなんかいませんね。

    • 自分の町は外からやってきた人々で判断されるので、よくわかりませんが、吉村昭さんが言うのですから間違いはないでしょうね。安全に生きるためには、誰にでも親切にするのがお金のかからない生き方でしょう。「私はあなたに悪意は持っていませんよ」と表現するのがいいですね。大木を一緒に切ることだってありますから。なぜ排他性が出てくるか考えると、まず言葉の違い。水利権をめぐる川の取り合い、国境線(土地)、特に放牧の場合、他人の土地へ草を食みに行きますから。それとギリシャからあるのが奴隷の取り合いです。労働者の大量確保です。あと宗教の独善性と相手への強制と多宗教への不寛容。人類が発明した宗教は全部、この中に入ります。表面は寛容性を装っても内実は同じです。自然や動物、植物にすべて精霊が宿ると言うアニミズムが一番、寛容な教えかもしれません。

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