哲学者鷲田清一さんの近著「所有論」(講談社)の1p目に詩人長田弘さんの1行が掲げられていた。525pにわたる所有論なので読み始めたばかりだが、所有論の結論が「なくてはならないものは、けっして所有することのできないものだけなのだと」ではないかと思った次第だ。また誰かが言っていたが「お金は社会からの預かりもの」というコトバもよぎる。「この金は俺のモノ、ここはおれの土地、これは俺の人民たち、ここの原油は俺たちの土地の地下にあるからおれの物、この市場はおれの会社の管轄、彼女(彼氏)は私のもの、俺(私の)の体は俺のモノだからどうにでもできる」。あらゆることに所有を持ち出す。「の」という助詞が鬱陶しく思えるのは私だけだろうか?

私たちは自然に囲まれて生きている。囲まれているとは空気であったり、水であったり、土壌であったり、地域の人々であったりする。食べ物を作ってくれる人たちやそれを運んでくれる人たち、果物ができるためには受粉をする虫たちも必要だ。知識も伝わってくるわけで、誰も所有などできない。

 

 

  1. このところ急ぎの仕事でバタついてやっと終えたと思ったっら、また事件。それも毎年お願いしていた果樹園の社長からのメ―ルでした。『今年は生育が悪く結実状態が非常に悪く、リンゴの木の提供はできません』と。毎年決まってこの時季にリンゴの木オーナー・キャンペーン』を実施。今年も顧客向け案内DM準備も終わり、丁度印刷も終わった時点でしたから大変な事に。自然を相手に農園の方々が長い間、毎日時間を掛けて手入れをしてくれて秋には美味しいリンゴを提供してくれるのが当たり前に成っていた事に反省でした。そう言えば昨年収穫期に農園の方がリンゴの手入れが大変なこと、台風や豪雨など天候次第でビジネスとしては合わないとも言っていた事を思い出しました。しかも今では方針転換なのか?これまで外部のワイナリーに出荷していた葡萄を自家製ワイナリーに新規設備投資をしワイン造りに力を入れてきている様子でした。今回は、他の果樹園にお願いして何とかなりましたが、自然を相手にしている果樹園や農家の方々の苦労を改めて身に染みて理解した次第です。スーパーに並ぶ果物はお金さえ払えば簡単に入手できますが、その陰で苦労する方々が大勢いらっしゃる事も忘れてはなりませんね。

    • 昨日、福岡から帰り、まだブログ未完成でおかしなことになりましてすいません。天候や人手に左右される果樹栽培、台風でリンゴが落ちた風景を見たことあります。1年育ててこれですからね。

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