達郎・大瀧 去年8月「マニアックツアー」札幌公演へ。倍率の高い彼の公演は、最近抽選で外れることがないのは、北海道公演は倍率が元々低いからなのか。私は大分に住む娘に申し込みをしてもらっていて、遠くに住む県からの申し込みを優先で当確を出しているのかもしれない。全国の達郎ファンで当たらない人は、札幌公演(2日間)に申し込みを入れることをお勧め。観光を兼ねて来てください。

きょうは、彼の語りの素晴らしい日本語についてだ。ミュージッシャンで、ウイットと言葉の正確さ、情緒の自然さ、お金を払ってきてくれたファンへの徹底的なサービズ精神(アンコールは30分を超える)は凄いとしか言いようがない。音楽のレベルの高さだけでなく、その語りを聞くときの心地よさ。自然さはどう表現していいかわからない。彼がテレビに出ない理由がよくわかる。 あるとき、コンサーツツアーがぴったり止まった時期があった。

FMのサンデーソングブック(当時はジャックス提供)には出ていて、ほっとしたが、彼の紹介する50年代60年代のアメリカンソングは私は全然知らない歌手名のパレードでも、よどみなく心地いい日本語を聞くだけで、品を感じていたのは私だけではないだろうと思う。私も中学時代から洋楽ばかり聞いていて、ビージーズやハーマンズハーミッツが好きだった。シャンソンやカンツォーネも聞いていた。

当時は、グループサウンズ全盛で4畳半フォークもあり、会場で失神者が出るオックスの赤松愛がいたり、話題に事欠かない。「明星」や「平凡」という雑誌が読まれていて、芸能人のグラビアを切り抜いてはノートに貼って、授業中も同級生の女の子はニヤニヤしていた。そんなときも、山下達郎は芯を曲げず、シュガーベイブを結成、都内のライブハウスで演奏をしていて、当時、学生の竹内まりやも聞きに行っていたとは、縁とは奇なもの。 コンサートは演奏・バンドも日本一ながら、彼のアカペラと語りだ、どうしてこう気持ちのいい日本語を彼は会得したのだろうかと前々から思っていたら、根っこに少年時代、祖父に連れられて寄席に行き、落語大好きだったと、「ロッキングオン」かラジオで語っていて、落語家になるのが夢だと申していた。なるほど。

彼は遠慮なく政治の話も会場でする。平和についても。 「僕がここでこうして演奏ができるのも平和があってこそで、これは守らないといけない」というメッセージを出す。去年の「マニアックツア」では、全然売れてないシュガーベイブ頃、長崎の会場で2~300人入るところで、前の方でしょぼしょぼのお客、その中で演奏した2曲を初めて公開した。「この曲を演奏すると、あの長崎での光景が浮かんでくる」と。メジャーになってもつらい時期の記憶はちゃんと残しておくのだと。

亡くなったドラマーの青山純、大滝詠一親分も今年でデビュー40周年を迎える山下達郎を天から応援しているだろうなと思う。そうだ、リードギターの佐橋佳幸さんの奥さん、松たか子の出産が近づいているのでは?松たか子も好きなので、安産を祈るばかりだ。

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