久々の夏の函館・・あるフランス人。
昨年の8月3日から5日まで函館を訪ねた。目的は函館戦争(五稜郭戦争)で幕府側や新政府軍でフランス人やイギリス人、ロシア人、アメリカ人がどのくらい参加をして、また戦死した人はいたのかどうかを調べることであった。函館市立博物館は10年前の展示方法と変わり、縄文スペースが増えて,近・現代スペースが小さくなったような気もする。8月4日、猛暑のなか市電で石川啄木が住んでいた青柳町で降りる。きつい坂を上ると市立博物館だ。ヘトヘトで頭は朦朧状態。視力も衰えるなか、ようやく一人のフランス人について書かれた説明文を見つけた。以下、原文のまま書き記す。
「軍事顧問団のフランス士官と旧幕府脱走軍将校」
慶応3(1867)年に幕府の要請で来日したフランスの軍事顧問団の副団長ジュール・ブリュネは、フランスベルフォール生まれ。この後、明治元年旧幕府脱走軍にフランス下士官とともに参加しています。そして、明治2年4月まで旧幕府脱走軍の海外線防御や陣地の指導。陸軍の再編と訓練などを行い、五稜郭明け渡しの直前、フランス軍艦で日本を離れています。
フランスの軍艦が函館港につながれていて、そこには相当数のフランスの軍人が乗り合わせていたことがわかる。幕府側としての戦略アドバイサーとして途中まで機能していたことがわかる。しかし、どうもフランス人は直接の戦いには参画していないような文面だが、もう少し調べる必要がありそうだ。
アドマン。
函館山に登ったのも10年ほど前でしたし、このところご無沙汰ですが、函館には洋館建ても多く和洋混在の独特の雰囲気の街ですね。教会も港の風景も本州の田舎に比べれば遥かに洋風です。港があるから昔から外国との接点も多かったのでしょうね。函館の人達は札幌の人を『奥の人』と呼ぶと聞いた事があります。つまり函館が北海道の入り口であり、札幌は山奥の村と言う意味の様です。交通機関に飛行機が発達した現在では大抵の人は札幌が北海道の表玄関の様に思って居るのでしょうが、かつては山奥だった事には違いないですね。それに歴史を紐解けば函館は重要な史跡や、それらにまつわる史料も多く残されて居るようですね。仕事でも函館には何度か行きましたが、話には聞いていましたが、残念ながら歴史探訪はしていませんでした。未だ未だ知らない事だらけです。
seto
おすすめは夜の函館山にバスで登るといいですよ。函館駅から出ています。迫力違います。そして函館市立博物館。電車通りでおじさんおばさんでやっている食堂で食べる素朴な塩ラーメン。函館植物園も亜熱帯で面白い。カメだらけdす。小樽もどちらかといえば札幌をバカにする老人が多いです。金融の町ですから。松前藩があるので本州の歴史と陸続きですからね。貿易をして道産商品でどっさり儲けていた商社でしたから。