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昨日の続きで、私もイベントをたくさん手がけお手伝いもしてきた。イベント嫌いは必ず社内にいます。半面、普段はおとなしいがイベントになると目立って活躍する男女もいます。イベントは祭りで、清濁併せのみです。祭りをすれば鬼が出る。

ゲレンデスキーが全盛の頃、市民会館でスキー板のプレゼントやウエアが当たる抽選会付き「スキー映画の夕べ」を開催していた。印刷遅れの冊子が封入後到着し、再度、袋へ入れ直す作業が発生した。主催の新聞社の部長も小気味よく動きだし、アルバイト学生と一緒に楽しくお喋りしながら働きだした瞬間、「部長、これは部長のする仕事ではありませんから、あちらで休んでいてください。」と次長さん。「おれ、こういう仕事が好きなんだよ」としばらく続けた後、休憩所へ戻っていった。このままいくと次長も袋詰めを始めなくてはいけないストーリーだからね。

私は、「大組織は面白いものだ。でもこういうことを繰り返していると、現場が実は毎日どういうことをしているのかという想像力を磨滅させることになるんだけど」と思う。私の勤務していた会社へ出向してきた役員も「親会社は会議が一番大事だ。何をおいても会議には駆けつける会社だ」と自慢・豪語していた。まったく仕事ができない人だったから会議は唯一自分の役割を誇示できる機会なのだ。お客さんとの大きな商いの切羽詰まった交渉があっても、社内会議が第一優先で、「先方に会議終了後、行くと伝えればいいじゃないか」。営業はお客さんあっての仕事・売上・数字なんですけど。

中身は時間つぶしの会議、責任回避の会議、上司へのゴマスリ度がわかる会議、座る場所が固定された会議もあれば自由席の会議もあって、私もたくさん出たが、百分の一に減らして欲しかった。会議も実は祭り・イベントだと思えば、やっぱり鬼が出てくる。「社長、私はどこまでも社長へついていきます」と発言した部長が、次の年に役員へ昇格したのも会議での発言が功を奏したのである。

しかし、次の社長が来ると飛ばされ、退社した。社長同士、仲が悪かったのである。通常のイベントの話に戻すと、実はこれは社員だけではなくて、アルバイト時代から芽生えていて、サボリ癖のある大学生、キビキビ働く大学生、きちんと丁寧語を話せる大学生、笑顔を出せる大学生。いまならスマホをいじりながらバイトする学生も多いだろうね。町内会でもPTAでもある。

私は大学生を7年間していたので、アルバイトの種類は10種を超える。手抜きをしないで働いてきたつもりだ、勉学しないで。付属図書館通いとアルバイトの日々。

学生時代、印象深いのは、ラーゲリ帰りのロシア文学者の内村剛介さんも参加していた「スラブ研究会」に自由参加することであった。パステルナーク研究者やドストエフスキー研究者、ゲルツェンを翻訳する人、多彩な人々の群れであった。内村さんが当時、ベストセラー「ソルジェニティンの収容所列島は角栄の日本列島改造論の悪乗り訳で実は収容所群島なんだよ」と教えられた。点々と続く島々だと。言われてみればそうだ。立花隆さんのラーゲリ帰りの香月泰男さんについて書き下ろしもある。内村さんの新書でも香月さんの絵を使っていたと記憶する。

テーマとは全然関係ない話になっていくが、ロシア文学研究会の会議(?)は面白い。眠くならない。刺激的。そうなんだ、刺激的な会議なら眠りを覚まし、既成の回路を破って心地よくする。イベントは非日常の祭りなら、どうせやるなら似たり寄ったりの祭りにならぬよう、こころがけたい。

 

  1. イベントは好きだ。机のPCに向かって計画立案も楽しいが実施当日は緊張する。目標を掲げ成果を求められているから開催初日の午前中など集客状況が心配で胃が痛くなる事さえある。本州から著名講師を招く講演会などは前泊しない事もあり到着するまで気をもむ。こんな催事を手伝ってくれるのは社員より外部の方達のほうが一生懸命だ。社員数の少ない会社ばかりに在籍した事もあり何時も助けて貰っている。極端な話だが、社内では誰一人立ち会わずに自分一人で実施する事が多かった。イベントは大抵(土)(日)が当たり前で会社は休日だからだ。もちろん社外の人の協力のもとに無事に進行する。手伝ってくれる人は手慣れていて気が利く。やりつけない社員がたまに「手伝いますか?」と言ってくるが、「いいから、いいから」と言う返事を期待している心の中は顔に出るものだ。お祭りもそうだろうが、イベントは好きでなければできない。そして平日にする催事など、ほとんどない。最もひんしゅくなのは前述で断った社員が家族連れのお客さんスタイルで開催当日に会場へぶらりと現れることだ。家族は仕事より大切な事くらいは頭では判っているが・・・。

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