利尻富士

床屋さんと話すといろいろな話が聞ける。聞くためにはこちらから話題を出さないといけないが、今回は29歳の理髪師の中学時代の仲良しが、利尻に渡って漁民になった話だ。何かの用事で利尻に行って居酒屋で飲んでいたら、漁師から「おまえ,この町で漁師にならないか」と誘われて、利尻に札幌から移住。主に昆布とウニ漁がメーンで最初は先輩の船に漁の手ほどきをうけた。住まいは元町民が住んでいた家屋があるから、それを無料で貸してくれた。漁のないときには、草刈りの仕事があって一日1万円は稼げる。冬の間は失業保険をもらう。床屋さんは札幌に帰ってきたとき友人と酒を飲んだとき、「今度、自分の船を持つんだ」と嬉しそうに言っていた。結婚を約束した彼女も札幌にいるので、近々連れていく。利尻町から見ても嬉しい話だ。大歓迎されて奥さんの仕事もすぐに見つかるはずだ。なんといっても生活の安定が一番だからね。恥ずかしながら、私は利尻や礼文島に行ったことがない。それどころか天売・焼尻・奥尻の島へも渡ったことがない。これで道産子といえるのか疑問の男ですね。ときどき宇宙人じゃないかと思う時がある。本来は旅は好きではないのかもしれない。面倒くさがりで、以前から持病のパニック障害もあって飛行機に乗れず、旅の断念が続いて、それが性になってしまったことが大きいと思う。

それにしても漁師になる話はいい話だ。相当前の話だが、東北の漁師町で「漁師募集」を東京で出したらたくさんの応募があったとラジオで聞いたことがある。農業はもちろん樵になる人も出て欲しい。昆布といえばこれが無ければ、京都の料理の基本部分の旨味が出ない。昆布で大儲けした日本海側の各都市もすごいが、中国にまで運ばれた昆布もあって、昆布ロードに一人の若者が走り始めた話だ。健康を祈る。

  1. 離島は礼文、焼尻、奥尻にしか行っていません。礼文では余り良い思い出はありません。カレイの煮つけで下痢したり、白タクにボッタクられそうになったり、小学生の子供が船外機に大人を乗せてウニ採りの密漁バイトをしていたりと。焼尻ではシケでフェリーが運休で宿賃も底をつきましただ、民宿のおばちゃんにロハにしていただき助けられました。焼尻はなだらかな丘陵の穏やかな島です。奥尻は取材に行き、役場のバンをお借りして島中をロケしましたが、その翌年大震災でお世話に成った民宿も大津波に呑まれてしまいました。余りのショックで、それ以来、離島には行かなくなりました。利尻はフェリーが寄港しただけで降りてはいません。どこの島でも猟師さんが捕って来る魚介類が新鮮でおいしかったですね。特にウニなどは海水で洗っただけですから、街に売って居るものとは味が全然違いますね。

    • たくさんのシマに言ってたんですね。思い出の良しあしが旅の味ですから、そこに住む人から受けた親切ならいい思い出になるでしょうが。小さな船ならすぐに私は酔ってしまうのでダメですね。オロロンを育てるために疑似のオロロンをつくり、鳥の数を増やした記録映画を作った人がいました。奥尻の津波はすごい災害で、心臓のステントで入院したとき、奥尻島民が同室でした。車で逃げた人は飲まれた人が多かったと言ってました。逃げるときは自分の足ですと。ウニは食べないので、色が気味悪いです。ウニが出たら好きな人に上げます、いつも。

  2. 漁師も、自然相手にも、海水温の上昇など環境変化に備えて、これからは養殖なども手掛けて行かなければいけないのでしょうね。獲る漁業から育てる漁業には設備投資なども必要ですから資金も必要になるでしょうね。若いうちに新しいアイディアを生かして独自の漁法などを見つけられればいいですね。

    • 日高昆布も山を育てることで栄養価の高い水が海水に交じり、日高昆布を良質にしたので。同じことは利尻昆布にもいえますね。山を育てる・守ることで海の産物を育てるですね。子どももそうですが、バランスよく育てないと、栄養もカップめんだけだと情操が育たないかもしれません。人間も自然の一部ですから、昆布と同じです。

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