チャールズ・ダーウィンの進化論は、あらゆる生命が環境の変化に対応して進化してきたことを示した。これは個人にとっても言えることで、若い頃には自分が進化したと感じる瞬間もあった。が、最近はもっぱら衰えを感じる一方で、これもヒトの退化の一種なのではないかと思った。おそらく生物についても、進化して生き残ってた種よりも、退化して絶滅したもののほうがはるかに多いだろう。そこで私は、これまで取り上げられることの少なかった「退化」について、自分自身の例も含めて書いてみようと考えた。概要は以下のとおりである。

  • まえがき「ヒトはなぜキレるのか」
  • 「耄碌」と「ヤキがまわる」
  • 老化現象と人格崩壊
  • COVID19騒動に見る社会常識の衰退
  • 社会システムとしての退化
  • 「進化し続ける精神」という幻想
  • 遺伝子の退化と脳の退化
  • ダーウィン「進化論」の功罪
  • あとがき「進化の果てにある退化」

という冗談を書いていたのだが、だんだんわびしい気分になってきて、書く気がなくなった。かつて数々の不謹慎な冗談で名を馳せてきた自分とは思えない体たらくである。バカをやるにも若さが必要らしい。歳はとりたくないものだ。

  1. 面白いっ!と笑ってばかり居られませんが。自分も退化途上ですから、つい出だしに引かれて、中身を楽しみにしていたのですが?非常に残念です。自分も退化組の仲間ですから理解どころか、一年一年がいや?毎日が『退化の改心』です。でも、途中で辞めるとかも退化の証拠かも?知れませんね。但し、このテーマに行きつくところはタダ者ではありませんね。未だ未だです。

    • (退化の改心)いい日本語ですね。SNSの利用含めて、相手を罵詈雑言する言葉が兵庫県知事選でもあり、立花隆志の演説に恐怖を覚えて議員辞職する人も出ました。本人の自宅前でがんがんやって「これ以上言うと、本人も〇殺されても困るので)とまで言いました。退化論の真っ最中ヲ走っているとしか思えません。ネットで稼いだお金を何に使おうとしているのか?

  2. 40代から目の衰えで眼鏡使用を。不思議なもので慣れてしまえば当たり前のように毎日自ずと眼鏡をかけて出かけるようになりましたね。クルマが当たり前の毎日が続くうちに、いつの日にか足が弱っている事に気づきましたが、メガネやコンタクトの様に適当な足の補助具は有りませんから退化を認めるしかありませんね。マラソンも得意だったあの頃?が懐かしいですね。後ろ手に組んでうさぎ跳びで階段を上るトレーニングさえ出来たし、階段は二段飛ばしで駆け上がれたし、スキーも急斜面を『死んでもいいや!』と度胸を決めれたし、若さは二度とは戻りませんね。当たり前でいて中々納得できない時期も過ぎれば受け入れるしかありません。しかし、心の片隅には『負けるな!』と鼓舞する自分も居ますね。裕次郎の歌に『♬生きてる限り青春だ~』なんて有りましたが、彼自身の最後の曲になりましたね。歌手でも誰でも、人生を語り始めると、人は長生きできませんから、もう、潔く何もかも成り行き任せが一番かも知れませんよ。説経歌の話から、つい、自分もお説教に成ってしまいました。

    • 成り行き任せが正しいいきかたかもしれません。同世代で杖を突いている人が出てきています。筋肉低下です。私の1歳上の兄も転倒してから杖を持ってます。脚、目、筋肉、歯、大脳の血巡り、そして記憶力です。いらいらすることもありますが、ある日突然、思い出すことがるんですから不思議です。小学生が走って学校へ行く姿をみて、ああ私も走ったことがあると思い出しました。車は足の退化一本道。

  3. 退化を実感するのは『物忘れが頻繁になった事』ですね。耄碌なんて嫌いな言葉ですが、一般的にはそう言う表現になるのでしょうか。つまり注意力の衰えで、物を忘れたり、間違いが多くなったりと様々な症状ですね。ですから、思いついたら即実行しない限り、後でやろうとか、急がないからとか言って居る内に、すっかり忘れ去る訳ですね。最近では、頼まれ事も出来るだけ即実行を心掛けているつもりです。が、果して、今も、何か忘れていないか?と疑心暗鬼状態の毎日ですね。

    • すぐ実行がいいですね。またはノートニメモ取るです。手の平に文字を書く人もいましたね。これが安心かもしれません。私たちはダーウインンではありませんんが「進化論)的にものを考え過ぎていて、退化論として考えることを忘れているような気がします。おじいいさん、おばあさんから見てネットやスマホの世界はどう見えているんでしょうか?バッテリーや電気のムダと考えているかもしれません。自爆への道かもしれません。

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