20代や30代で何百万のを金を一気に手にして、派手な暮らしに麻痺して、結果,御用になる人が多くなった。万事、消費社会を煽る大人たち、金さえあればほぼ幸せの7合目まで行ったかのような錯覚に陥るが、捕まればそのまま刑務所へ行く。若い男は貧乏であることが義務であるようにさえ思うが、実はこれは真実に近いので繰り返し掲載します。政治家の息子たちや企業家の子供や孫たちが次々不祥事を起こす背景に、男が育っていくのに必要な貧乏の効用があることをかみしめたい。自分の弱さを隠ぺいするために、親の金や国税を乱費したり、あごで他人を使う癖を若いときから覚えてしまう危険だ。人間の形を崩してしまう。本人は気づきにくい。
A000001Bの1万円(福澤諭吉記念館所蔵)筆者撮影

橋本治さんの孫引きながら、全文引用します。出典 平川克美『小商いのすすめ』より。この文章をどう読むか?

『貧乏でも自分には力があるから平気』と言うのが人間の強さというもので、これを捨てたら、人間おしまいである。『若い男が貧乏であるということは、人類の歴史を貫く真実で、そしてこのことこそが人類の未来を開くキーだからである』というのは、社会生活というものを営むようになってしまった人間の本質は“若い男”であって、若い男は強く、そして若い男は強くあらねばならないという、それだけのことである。強いんだから貧乏でもいい、なぜなら“富“とはその“強さ”の結果がもたらしたもので、自分の弱さを隠ぺいするために“富”という武器を使ったら、その人間社会は根本を衰弱させて滅びてしまう、それだけの話なのだ。

私の少年時代(昭和30年代)は私を含めて周りは明るく貧乏人だらけだった。60歳を超えてクラス会を開いても大金持ちは誰ひとりいない。一方、今は若いときから、親に小遣いをもらい、奔放に遊び呆けてきた男がある日、クスリで逮捕。『若い男は貧乏である』というところから始めれば、その後、悠々と生きられると思うのである。それこそ、自分の弱さを隠ぺいするために富(親からもらうか株で一気に稼ぐかの違いはあるにせよ)を使うと、その人間社会は根本を衰弱させ滅ぼすという部分はわかるし、身近に何人かいた。高い給与をもらいパチンコ三昧、競馬三昧も多かった。共通は一生懸命に仕事をしない、しないうちにできない人間になってしまっていることだ。働かない癖(働けないではない)が一度憑りつくと取りにくい。ということは逆に『働く癖』を持ち続けることが、過分な富を生み出さなくても納得いく生き方に近づくのだと心得たい。

派遣切りや早期退職を促す会社も増えている。時代は自分で選ぶことはできないにせよ、過酷な世の中になってしまった。どうやってこれから生き延びていけばいいのか。自分の貧しかった時代や結婚後4回の転職を繰り返して生きてきたので、どこかに忍耐強く生きられるヒントがみつかるかもしれない。有名無名を問わず言うのは、平凡に生きることはむつかしいが、それが一番だ。

  1. 「平凡に生きる」とは、特別な成功や名声を追い求めるのではなく、日々の営みの中に意味や満足を見出す生き方でしょうね。たとえば、家族や友人との穏やかな時間を共有できて安定した仕事と生活ができて、季節の移ろいを感じる心の余裕もあって、
    小さな喜び(朝のコーヒー、夕焼け、散歩)も得られてこれは「何も起こらない」ことではなく、「何気ないことに価値を見出す」ことでしょうね。つまり、平凡は幸せの原点でしょうね。歴史的にも思想的にも、「平凡=幸せの原点」とする考え方は存在しますね。白居易(中国唐代の詩人)は「平淡」を美徳とし、日常の美しさを詩に詠みました。松下幸之助は「平凡なことを非凡に行う」ことが人生の本質だと説いています。イチローは「小さなことを積み重ねることが大きなことを成し遂げる唯一の道」と語りました。つまり、非凡な人物ほど「平凡の価値」を深く理解しているとも言えますね。また、平凡だった時代に戻りたいと言う事かも知れませんね。では、 現代の若者達は平凡を求めているのか?ですが、現代人の幸福観は多様化していて、以下の調査結果もあります。三菱総合研究所の1万人調査ですが、「自由な時間」「家族との関係」「健康」など、極めて“平凡”な要素が幸福度に強く影響しているとも。とくに、若年層については「進歩・挑戦」よりも「安定・安全」を重視する傾向があり、平凡な生活への志向が強く見られるようです。一方で、SNSや自己啓発文化の影響で「非凡でなければ価値がない」というプレッシャーも存在しているようです。つまり、多くの人が平凡を求めながらも平凡であることに罪悪感や焦りを感じているという矛盾もあるのようです。「平凡」と「幸福」の関係をアリストテレスは「幸福とは活動の中にある」と言い、日常的な実践(家庭、友情、思索)を重視。いずれにしても日常性の中にこそ、人間の本来的な存在が埋もれていると言えるのかも知れませんね。家庭をも顧みず好き勝手な生き方をしていた若き日の自分を懐かしむ一方で罪悪感も。平凡と幸福は永遠のテーマですね。

    • 松下幸之助はユーチューブで見たら、社員の面接で「君は運が強いと思うか」と聞いて「強い」と返事する人間を採用したそうです。実際、そういう社員はいろいろな変化や対応に優れた行動を示したそうです。人生の8割9割は運かもしれませんね。私も結婚後、4回転職しましたが、いずれも運ですね。面接者が、こいつ運がありそうな奴にみえたかも。2つ目の職場で、社員の解雇問題が発生しました。組合をつくって1年間、裁判闘争(解雇撤回)をしました。勝ちましたが疲れました。で、生保に半年勤めて、夜は自動車学校へ行き、次の転職に備えました。仮免落ちて、卒免も落ちてえらく金がかかった記憶があります。3歳の娘が日曜の検定試験に行く私に向かって「パパ頑張って」と言われた声を忘れません。33歳で合格しました。家賃14000円の道営住宅住まいで、貧乏丸出しでした。貧乏長屋でしたが、しかし、面白いのは貧乏人同士の見栄の張り合いがあって、電化製品を新しくしたら「来て、見て」の奥さんがあちこちいました。最後の転職でようやく中古ですが戸建てを持つことができました。36歳のときでした。妻は29歳からずっと専業主婦なので大変でしたが、なんとかここまできました。ラッキーな人生です。結婚は29歳でしたが、貯金はゼロ円の私でした。両方の親が結婚式費用を分担したそうです。ありがたや。貧乏ではありましたが、お金に困った記憶はありません。車は全部、中古。新車に乗ったのは53歳のときでホンダフィットでした。はじめて新車がきたとき嬉しかったです。「若い男の貧乏は正しい」というのは、自分自身についてもいえるので書いたわけです。

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