現場の劣化現象・・「経営学」(小倉昌男)に照らして・・・
「会社の社内を流れる情報は、上から下へ行くものと下から上に上がっていくものと二つある。上から下へ流れるものは、ほとんどが公式な情報で、会社の正規のルートを辿って流れる。情報を流すことが管理職の主な職務であるといっても過言ではないだろう。一方、下から上へ上がって行く情報は、管理職を経由してはほとんど流れない。下からの情報はお客様からのクレームがある。これは非常に重要な情報で、一刻も早く上層部へ伝わらなければならないのだが、管理職のルートではほとんど流れてこない。なぜかというと、クレームは管理職にとってはなはだ都合の悪いもので、何とか隠したいと思うからである」「経営学」日経BP社(小倉昌男著)206p。
「クロネコヤマトの宅急便」を考案して、当時の許認可省である運輸省と戦い、三越デパートの専属運輸会社であったが、理不尽な映画チケットの押し売りに憤り、会社の存亡をかけて取引を止め、これまで誰も相手にしなかった個人配達に活路を見出そうと戦いを記録した本だ。ドキュメンタリー作家が社長を取材して書いた本はたくさんある。しかし、自分の戦いをこんなに冷静に語って凄味の在る本は希だ。企業を外から勝手に批評するジャーナリストや評論家は多い。自分で血を流さないから何とでも言える。起業を志す人はぜひ読んでほしい。
この中に、現場の声がトップに伝わるルートとして、労働組合を企業の神経と考えて、そこが騒ぐということは、どこかに痛みが生じている証拠。探して解決しましょう・・・という話がある。労働組合を利用して経営に生かそうとする姿勢が見える。結果として、「全員経営」の考え方にそれはつながる。宅急便の開始に合わせて、全員経営の体制を基本に人事、労務管理を進めた。「運転手」という呼称はやめて「セールスドライバー(SD)」へ。責任ある行動へ変えて、会社側はやり方についてあれこれ命令したり、指示したりしないかわりにSDが自分の判断で行動するわけだから責任感が倍増する。
個人宅を相手にする宅配商売では、ここが一番大事で、これがないと企業と個人の信頼関係は成立しないと小倉さんは語る。会社対会社で仕事をしてきたドライバーにとっては晴天の霹靂だ。現場力の強い企業へ躍進した。アマゾンで注文した品物があなたに届けているヤマト運輸にはそういう深いドラマがあったのだ。
そして、一方、近々の事件のほとんどは現場の力低下・神経の鈍化・マイナス情報が伝わらないことから起きていることを思えば、現場からの言葉、クレームがきちんと伝わっていないことから生じている。フォルクスワーゲンも三井不動産のマンションも厚生労働省の汚職も。「おかしいよ!」という現場の声があったはずで、それが正しく伝えられたら防げた事件かもしれない。おかしさ・異常さにすぐに反応する企業でありたい。「隠す」とその亡霊は時間の経過とともに「何倍も大きな損失で」立ち現れる。
現場の劣化現象とは実は、パイプが詰まり、血液(情報)が流れないことで、現場が伝えるのを諦めることで生じる場合も多い。沈殿した社風になること請け合いだ。
匿名
クロネコヤマトは宅配業者の中でも信頼がおける方だ。配達員個々人について言えば問題が無いわけでもないが、あれだけの大変な物量を配達する事を考えれば個人の人間性は差し引いてもいいかも知れない。一方他社と言えば、配達はアバウトで深夜に届く事もしばしば。理由を聞くと「言い訳」が始まる。ドライバー兼配達員の口も方便で、昨日は「トラックが事故って」。その前は「急ぎのお客さん優先で」とぬけぬけとのたまわく。こちらも急いでいる仕事がらみを理解していない。創設者は信念をもっていても継承されていなければ、どんどん現場の都合よく変えられて行くのだろう。顧客の都合より自分たちの都合が優先されるのは危険だ。クレームの隠ぺいもこんな体質が生むのだろうか。
昔の少年
僕は前職や前々職でSC(セールス・クリエーター)を自称し、社内全体にSC組織づくりを提案していた。どの会社でも実現はしなかった。理由はこうだ。「営業が制作なんかしていないで表に出ろ」と。営業と制作は水と油のように馴染まなかった。営業が制作に興味を持つのは無理かも知れないが、制作が営業に興味を持って欲しかったのが本音だった。かつて僕もそうだったように制作は営業を嫌って内に閉じこもりがちになり、クライアントやユーザーと距離を置いてしまう事で、単なるアーチストになってしまう。ビジネスにするにはユーザーやクライアントのニーズを満たさなければならない。現場に出る事によってそれは解消され、ユーザーにとってもクライアントにとっても、会社にとってもプラスとなる。最大のメリットは自分の将来に渡りプラスになる事だろう。