病院の高い現場力
札幌郊外にある循環器病院から退院してきた。カテーテル検査だけだったが、15年前に挿入したステント(救急車で運ばれて緊急に入れたステント)が、調べてみると狭くなっていて、来月、薬を塗ったバルーン(風船)を挿入することになった。
昨日のブログは現場力の低下を書いたが、ここの病院は真逆で「相当高い現場力」の病院だということを発見した。どこの病院も患者をお客様という発想は、度が過ぎるとクレーマーを跋扈させはしまいかと懸念するところではある。
しかし、病院自身はなかなか自らの病院を客観的に知ることは難しい。せいぜい、心臓カテーテルの実施数や手術件数や有名医師の存在に目が行く。しかし、患者にとって一番多く接するのは、入院体験があればわかると思うが、看護師だ。丁寧な言葉づかいや気配りに感心する。総合受付は、どこかの会社の社長秘書級の対応、通常診療も順番がわかりやすく「〇〇番の方は、もうじき呼ばれますのでご準備ください」と大画面表示。呼ばれて座る主治医のいる待合室の椅子はふわふわソファ。眠くなるくらいだ。
検査7項目も検査終了した技師が次の場所まで連れていってくれストレスが発生しない。そして看護師たちの明るさと見え隠れする仕事へのプライドは気持ちがいい。食事配膳やお茶配り、毎日の部屋の掃除するおばさんまで丁寧な対応にびっくりだ。相当にしつけられて、教育されて身に着いたのか感心だ。ここまで、現場力の高い病院でも、やはりある患者や家族からのクレーム。それを院長へ直接実名で書く意見書箱があった。
これって、最近、回転寿司や量販店・スーパーにもある名指しで批評する制度だ。クレームをあらかじめかき集める会社もあるくらいだ。昨日のブログでは「お客様からのクレームが大事」と小倉昌男さんの言葉を書いた。しかし、ここの病院には「実名を出しての意見書は必要ないのでは」という意見書を出してきた。私は何人も悪質な患者も見てきているから(助平な患者より威張る患者が嫌われる)。元肩書きを持った男患者に多い。喋れる語れるからね。あら探しも上手だ。いくらお客さんとはいえ、度を越えたクレーマーの患者は、誰が見ても異常に見えるからスルーしていいと思う。
さらに私は「ここまで素晴らしい対応の病院は、退院患者が口コミで次の患者をアナウンスしてくれますよ」と書いた。命に関わることについて、美味しいパン屋情報より真剣に聞いてくれる。無用なプレッシャーを与えずヤクルト球団みたく決定的な場面以外はバントをしない伸び伸び仕事ができるようにしてほしい。ロボットみたいな人になってほしくない。それにしても5人のカテーテル検査チームのスピード・正確さは凄かった。10分で終わった。血管造影剤も10年前には体中、猛烈に熱くなったが、わずかな熱さになっている。「ステントも改善されて以前とは品質が違います」と主治医。日進月歩の医療の世界を見た。
昔の少年
命を預かる仕事にもいろいろある。バスの運転手も旅客機のパイロットも救急隊員も医師も。そしてそのサポート役のバスガイドやCAや救命士や看護師など重い仕事を淡々とこなす姿は美しい。仕事を離れれば、元の自分を取り戻すのだろうが、業務中はシステマチックに適格に、しかも爽やかに、鮮やかに仕事をこなす様は、まさにプロフェッショナルだ。一方、自称プロには様々居て、実力も資格もないのにプロに成りすまして騙す輩もいる。本当のプロは口コミでも広がり知られるが、なりすましプロは自らを宣伝し誇示する。救急搬送時は別としても、命に関わる大事な治療などは全幅の信頼がおける医療機関で納得して行わなければ後悔するだろう。医療の進歩は不可能と思われていた事も、日々可能に変えつつある。