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ディオゲネスを訪問するアレキサンダー大王

3回目のサラリーマン生活で、街を歩けば必ず知り合いの2~3名に遭遇する。札幌の街は南北に歩く人が多いから特にそうだ。寒いから地下を歩くモグラ都市。知人に会ったら近況報告だ。誰々が辞表を書いた、誰々が転勤で異動した、誰々がガンで亡くなった。世の中は動いている。いずれ私も、「ブログを書いてた彼ね、死んだよ」と知人から言われる日が来るだろう。

ギリシャの哲学者犬儒派のディオゲネスが樽の中で生きていて、アレキサンダー大王が彼に「何か欲しいものはないかね」と尋ねたら、「お願いだから、あなたがそこに立つと日陰になるからそこをどいてくれ」と言ったというが、樽の中でも有名になれば、誰かが訪ねてくる。教えを請いに若者たちが授業料を持って彼に会いに来るだろう。どちらにしても、奴隷たちがいて、彼らの市民生活を支えられてはいたのだけど。樽の中でも食べたり飲んだりするから、排泄行為はあったので、そのときは樽から出て、どこか離れた場所で排泄をしたのだろうね。

人間、生きるためには、歩いていかなければ労働も何もあったものではない。脚を失っても義足や車いすで移動する人たちもたくさんいる。堂々と生きてる姿は気持ちがいい。その一方、五体満足でも、引きこもってる男女も多い。汗を流して肉体労働をするとずいぶん違うんだけど、抗鬱剤を処方する医師ばかりで、市内のメンタルクリニックは予約で満杯状況。全国の都市でそうだと思う。

都市化した上海もうつ病が多いし、NYのセレブやCEOクラスは自分専用の精神科医がいるとも聞く。大都市は精神を病める要因に満ち満ちている。一番は社内の人間関係。二番目は企業業績達成。三番目が労働(?)からくる家族関係希薄さや夫婦関係の狂い、離婚。四番目は見栄や遊びの借金かも。短時間の農業体験から言うと、単純労働を繰り返すことのストレス発散効果は絶大だ。虫取りをするのもよし、庭の草取り、部屋の掃除、今なら落ち葉拾い、ブログ書きはストレス発散に近いときがある。

とにかく意識的に、みずから変化をつけて、付き合う人間を変えながら生きていきたい、そして土に(ゴミ)に還る。自分の死を見つめて(できるかどうか)、私がいることで喜ぶ人(いればの話だが)が数人いれば、それを善しとするのがせいぜいだ。それにしても外を出歩かないと、他人や新鮮なことにぶつからない。楽を選択すると失うことや人間の鮮度が落ちる。鮮度って何なのと聞かれても、即答できないが、相手へ丁寧さ・敬意を失わないことかもしれない。そして、好奇心、「何、それ?」。

  1. 「第三の波」の予言の通りにPCが普及し「自宅勤務」も可能になった現在も何故か、おおかたの人々は毎日会社に通勤している。僕も中心部から最も離れている自宅からクルマ通勤だが、仕事での利用も含め年間2万キロ超走っていて随分無駄な出費を続けている。電車やバス通勤も首都圏ほどでは無いがラッシュを体験している。会社は備品・家賃・駐車場代・光熱費・通信費・消耗品費など経費が掛かっている。少人数ならまだしも大所帯とあれば半端な経費では済まない。従って稼がなければ経営が成り立たないため社員にプレッシャーを掛ける。自主的に働く人材ばかりなら問題ないが性格は人の数だけ多種多様。こんな毎日でも耐える事が出来るのは長年の鍛錬しか無い。「鬱」や「いじめ」や「嫌がらせ」や「無視」が原因で転職を試みても、どこにも同じ問題は蔓延っている。会社に求めるのは無理な事ばかりだから外部に「安らぎ」や「楽しみ」を求めた方が良さそうだ。「病院」に求める前に。

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