テレビを見る時間が少なくなった。
スポーツ番組や一部のドキュメンタリー以外はすっかりテレビを見なくなった。私の周りにも、NHKへの受信料拒否からテレビを捨てた同世代もいるし、子供を持つ親も朝ご飯の話題を新聞に切り替えて、テレビを捨てたと言っている。
世代や親の考え方に差はあっても、「テレビはつまらない」という人が多い。一人暮らしは寂しいから音を出す人もいる。個別にタレントの好き嫌いはあるだろうけど、テレビ大好き妻は、ドラマ途中で私が階下へ降りると機嫌が悪くなる。野球やテニスやラグビー、サッカーの生中継くらいしか見ない。好きだった新聞もさっぱり読まなくなった。妻は隅から隅まで読む。軽い鬱症状に入るとテレビを見なくなるというからそれに近づいてるかもしれない。
私は日刊ゲンダイをキオスクで買って読むくらいだ。私の感性に触れてこない番組が多過ぎて、結論が出るところでCMが入ったり、テレビ画面の隅に出演者の顔を小さく入れて、いちいち流されてる番組の反応を映したり、視聴者を小ばかにした番組作りや内容のなさに辟易している。昔、ローマ時代、市民にはサーカス(娯楽)を見せて、政治批判力を衰えさせることもしていた、あとは食べ物(パン・給与)を与えてね。
某局の番組作りに影響力のあるディレクターが「お昼や午後帯の番組なんか、暇なじいさん・ばあさんしか見ていない。CMを流したって、健康以外は購買にはつながらないよ。そんなとこに制作費を使ってもしょうがない、再放送で十分だ」。某誌は暴論だと、別な人は「その通りだ」と。一つのテーマで2人か3人の討論、まじめな討論でも流せば、こま切れニュースより見られると思うがどうだろうか。自分の所見も入れて、対話や会話に楽々とついていけるアナウンサーがどれだけ局内に在籍しているかが勝負になる時代がやってきている。いつまでもバラエティではなくて真面目に作ってほしいと思う。Eテレはずっと先を歩んでいる。しかしNHK会長の顔を見ると吐き気がするのはどうしてだろう。
いい番組ならば、最後まで視聴者はついていくと思うが、具体的にいい番組って何?と聞かれたら千差万別。テレビ局がビル貸しとか不動産に手を染める方が儲かるかもしれない。立地のいいところにビルを構えているから。
ブログを書きながらわかったことは、毎日これを書いているから、テレビより面白い時間を過ごしているということかもしれない。
昔の少年
我が家でTV好きは2人いて、2台の大型TVを2つの部屋に置いている。リビングにはTVは無い。一家団欒TVタイムは昭和の思い出になった。ソファーにゴロゴロしながら休日をTVの前で過ごした頃を思い出した。TVニュースも新聞の情報もネットより遅く今や「ニュース」と言うより「事後のお知らせ」に成り下がった。毎日新聞あたりはいち早く夕刊廃止をしたが、我が家はやめようやめようと言い乍らも地元の地方紙の朝刊のみとっている。「購読」と言うにはほど遠い「見ることもある」「見ないこともある」程度だ。僕の仕事「広告」が掲載されるからだ。今や大型画面のスマホもあり、鞄にタブレットもあり、家にはPC、会社には目の前に大きな27インチモニターのWinもMacも鎮座している。嫌がおうでもネットでの情報が主になっている。TVは、他所でたまに見たりもするが、番組編成がどの局も同じパターンで嫌気が差す。肝心な話は吹き出しを入れて音声を消してCM優先で結論先送り。やたら長いCMが終了したと思えば、先ほど見た部分をクドクドと繰り返してから、大した内容も無い結論を出すのにはウンザリ。途中で嫌気が差してTVの前から居なくなる。そう言う僕も広告会社の人間だが、関係者の僕さえが嫌気を差すのだから当然視聴者離れにつながると思う。こんなTVが始まると僕は決まって「また、犬が転がってるよ!」と言ってその場を去る事にしている。(※ワン・パターン)