クロッカス ②白

昨日は、代理店の倒産の一端を述べたが、200人もいれば200通りの感慨や怒りなどが当然あるわけで、一人一人からその前後の話を聞いて、それから語らないと公平性を欠くとは思うが、私も営業マン。ご他聞に漏れず、幾つものスポンサーの倒産に遭遇。始末書書き、社長を追いかけての集金業務で必死な時期があった。40代の半ばであった。

営業マンは前を向いて走る癖があるので、倒産とか集金を追いかけるという後ろ向き(経理に失礼な言い方かも)の仕事は何十倍も疲れる。そのとき、気を楽にしてくれるのは、上司の一言。「営業に倒産は付き物、勲章のようなものだ」「どこか、違うスポンサーで儲けて汚名挽回しなさい」。とはいえ「どこまでも追いかけて、金を回収するまで帰るな」とか「そんな倒産に遇うなら、仕事をせず寝ていた方がいい」とか「与信管理が甘いね」とずけずけフォローなく発言する人間もいた。

倒産した会社の一つは通販でカルシウムたっぷりの「水」を売る広告を出したが、利益が出ず倒産。社員は全員、元銀行員だ。社長が独身で、ススキノ支店に勤務で遊びを覚えたとは聞いていたが、全員銀行員なので、資本とかお金のやり繰りのプロと勘違いした筆者の判断ミスもある。100万円弱の負債であったが、半年以上追いかけたが、最後は「生命保険でお金は返す」と言われて絶句。「冗談はやめてください。こちらは、売掛処理をできるから、払えないならそれでいいです」と伝えた。

会社へ戻り、総務・経理に話すと、「そういう話はありがちで、それで自殺した人はいないよ」と言われ、そうだよねと私も思った。ところが、ある日、ススキノ近くの倉庫ビルの屋上から飛び降り自殺した。借金総額は1億円を超えていて、亡くなる数か月も前から飲み狂い、金を借りまくり、遊び狂っていたという証言もある。覚悟をして遊んでいた気配がある。

もう一つは、小さな工具店が新しくリフォーム事業をするので、小さな広告(1回3万円)を出していたが、近くに大きなDIY大型店ができて、客が激減して倒産した。リフォームもうまくいかず、こちらの社長も自殺した。小企業の過酷な環境をまざまざと突きつけられた。中小企業と、中と小を一括りにした日本語がマスコミで表現されるが、実は小企業は、自分の命をすり減らして生きている。すり減らすどころか、自死している現実は言っておかねばならない。日本中がシャッター街の駅前通りが増えて、郊外へ郊外へ、ショップゾーンを作る戦略を商社や不動産デベロッパーがワンパターン街づくりをしているが、果たしてそれが住民の幸せにつながるかどうか、もう一度考えてもらいたい。

 

  1. 社会貢献度のない企業、社会性のない人が増殖中ですね。モラルの無い社会はこの先どこまで行くのか?心配です。政府のお題目の地方創生プロジェクトには共存共栄とか共生とかは掲げられているのでしょうか?ビジネスも今や環境への配慮などイメージ戦略に走り勝ちですが、現場とのギャップが社会問題をも引き起こしています。食品加工・製造メーカーなどに多いようですが、世間には知らないところで以前はもっとひどかったようです。

  2. 不動産業者にはやられました。知り合いが就職したと言う電話で訪問が取引のきっかけでした。2000万くらいでしたがCM放送料関係と印刷費でしたが回収できませんでした。計画倒産のやり方はこうでした。GWの最中のイベントを手がけていた僕は、GW直前にその不動産会社に挨拶に行きました。営業部長『さすが情報の会社だなぁ~』と僕にささやきましたが?意味は判りませんでした。その前にビル内の事務所の壁を壊して広くして、さぁ!これからやるぞ!と神棚まで設置した矢先でしたから。GWが始まり不動産会社は休業中、僕はイベント会場の月寒ドームで張り付いていた時にポケベルが鳴り電話すると不動産会社が倒産したらしいとの情報。即その会社に飛んだが扉が閉まっていてもぬけの殻。休み明けに法務局で調査も所有地も名義変更されていた。自宅に行けばチンピラが住んでいて追い返され、やくざ専門の弁護士とも話し合いもつかず、毎月毎月、ひとの気配はしても錠の掛かった隠れ事務所に請求書を投げ込むだけでした。今も、その不動産会社の社長は高台にある、まるで要塞のような豪邸のラウンジで街を見下ろしながらブランデー・グラスでも傾けながら、次の悪巧みの機会を伺っているのでしょう。大きなガレージにはベンツもありました。まるで多くの人々の生き血を吸うヒルですね。いつか踏み潰されてしまうでしょう。計画倒産のカモフラージュに神棚まで利用するなんて罰当たりが居るものです。

    • その人は幸せな最後は迎えられませんから、心配には及びません。相当、悔しいけれど。会社を倒して損しないよう、資産を奥さんや兄弟名義
      にして、社員を路頭に迷わせて生きてる人の方が、今の世の中、多い気がします。

  3. バブル絶頂の時代はサラリーマンさえ不動産屋まがいの行動していましたね。東京の大手広告代理店の社員はマンションころがしで大儲け。北海道でも代理店の若いやり手社員などは土地の仲介料で大儲けの話を自慢げにしていました。今では不動産屋になって人を騙していなければいいのですが?僕は騙されませんよ!

    • 不動産や株・金(ゴールド)などお金儲けは、うといので私はダメでした。両親から汗を流さないでお金儲けはご法度
      という家訓を守ってました。もらってる給与で十分な暮らしが成り立ってましたから、ありがたいことに。それでも
      毎日、証券会社の株式一覧を見ていた人も亡くなり、棺桶に持っていくわけにもいかず、晩年は奥様に先立たれて、半年
      で後を追うように逝きました。2代目の社長でしたが。持って生まれた使える金の限度というのがあって、それを超えると
      狂います。みなさん、一度は狂ってみたいといいますが、阿片みたいなもので戻るときは激痛を伴います。

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