広告代理店倒産の人間模様
年商100億円を超える広告会社(札幌本社)が2つ倒産したときは、業界は「次はどこだ」「あそこのテレビ局や新聞社は何億負債だ、いや保証金を〇〇積んでいるからケガをしていない」「〇〇が保証人になってくれたら倒産をしないで済んだのに」。
昔からこの業界には手形決済の習慣が根強く、家具業界も末締めの翌々月末も多く、この手形を割り引かないと支払いに間に合わない。特に新聞社への支払い、チラシの折込代金も支払いが早かった。そこで割を食ったのが、制作会社やデザイナー、コピーライターだ。廃業をする人間も多かった。テレビCMを作る会社もそうだ、それに加えて路頭に迷う社員たち。独立した者、テレビ局へ行った者、スポンサーの広告窓口へ転職したり、別な広告会社への就職が一番多かった。
ただ、倒産した後に聞いた話ではあるが、もう会社が万事休すと分かった時点で、昵懇のスポンサーからの予定の支払いを、会社ではなくて自分の個人口座へ振り込むよう要請した営業マンもいたとかで、モラルハザード状態になったと聞いている。この2社の倒産で特徴的なのは、その営業部門での数字(売り上げ)管理であった。どちらもチームでの数字を最優先して、思いっきり仕事はできるが、その仕事の原価を仕事完了と入金まで営業個人が管理することがなかった。
その売り上げを、今度は制作・媒体に丸投げだ。社内の制作がその仕事をこなせれば利益貢献できるが、それをまた外注を使って丸投げする習慣が常套化していた。利益はどんどん食われていく。200人の社員のうち半分以上が制作や媒体管理・総務。長年の習慣で財務体質が弱く、売り上げの大きい広告主が倒産すると、立ち直れない。キャッシュフローがないからだ。
元々、広告代理店は、銀行から見ると、信用度の低い業種だ。電話とFAX、有力スポンサーがあればだれでも始められる。服飾メーカーの人から「在庫を持たず、口先だけのいい商売だね」と皮肉られたこともある。他人のふんどしで相撲を取っているとまで言われたが、それは銀行や証券会社も同じだ。倒産の悲劇の陰に美談もあったが(自分のことは後にして、部下の就職先を必死に探した上司とか)、死者も出た。「あの会社は危ないので、いまのうちに弊社へ仕事をください」という営業をする代理店も出て、さすがにこれには広告業協会は「厳重注意、禁止営業」というお触れを出したが、言ったほうも言われたほうもどちらも倒産した。
どちらの広告会社へも追加融資しなかった金融機関もその後倒産した。
iida
僕は、支店長時代に常日頃支店社員に言っていた。『どんな大きな会社でも先のことはわからないよ』と。組合員だから守られていると勘違いしている社員たちは権利主張はするが危機感が全く無く、普段休みを取ってフランスにまでケーキを食べに行く女性社員もいたりした。会社の実情を把握して居るのは7名の取締役のみだった。それが証拠に事件の当日、組合の執行委員全員が呑気に東京で会議をしていて誰一人不穏な動きに気づかなかったようだ。裁判所の記者クラブ詰めの新聞記者の情報は早く、各媒体社に一瞬のうちに広まった。僕には地元の大手地方紙から『本社で何かありましたか?』との電話。この時点で察知はできたものの詳しくはわからなかった。次々と媒体社や興信所から来客があり対応に追われた。ただ媒体社には小切手で支払い済み後の騒動で手形は切っていなかったことで収まった。しかし、小口の印刷依頼先には迷惑をかけてしまい、何ともできなかった事が今も悔やまれる。会社対会社とは言え彼らには本当にすまなかったと今も思っている。
seto
なるほどね。危機感を持ってるのは、経営者意識の多寡によるから企業の大きさではないということですかね。
外から自分の会社を見る目が、必要だということですか。たくぎん倒産の1年前に、当時の大蔵省がたくぎん
を倒産させた場合(生意気な視点ですが)、北海道経済に与える影響をシミュレーションしている情報を入手
しましたが、不穏当な発言にもなるので、誰にも言えませんでした。たくぎんの行員もまさか自分たちが倒産の
憂き目に遭うとは思ってなかったでしょう。いまはある日突然、M&Aで合併発表かもしれません。生きていく
のはほんと大変です。
iida
僕の会社は北洋相互銀行時代から広告を扱わせていただいていました。北洋銀行になって日銀出身の頭取の方の撮影もしました。当時は『蛙が蛇を呑んだ』とか言われましたが、実は此のころから拓銀のシナリオは始まっていたのです。拓銀の若い営業マンが僕の会社を訪問して『拓銀と取引したほうがいいですよ』とのセールストークに『北洋さんにはお仕事いただいていますから』と断ったが拓銀と取引していない企業と言うだけで上から目線の横柄な態度に腹がたった。大通りに面した我が社の窓から拓銀の看板が下ろされるのをこの目で確かめながら、あの営業マンはどうしたのだろうか?と思ったものです。これも大手だからと胡坐をかいていた典型例ではないでしょうか。会社は規模が大きくても、小さくても守ってくれません。自分たちが会社を守らなかったからです。
seto
自分の所属する企業を誇るのではなくて、いま自分がしている仕事の内容を誇るようになれば、企業の大小は関係なくなりますし、わかりやすい人間関係
になっていくと思います。〇〇であるということから、自動的にその人の価値は流れてはこないぞと思えばいいのかもしれません。たくぎんに限らず、多くの
倒産した企業マンが転職を余儀なくされて、同じ世界やまったく違う世界で生きていくことになったわけですが、それでもまだたくぎんマンは恵まれた倒産
ではなかったでしょうか?倒産で恵まれたというのはなんですが、金融は取引先も多くて、知ってる限りでは、道関係、札幌市関係、他の金融機関、諸団体
、生保など転職者が多いです。面倒を見ることを経済団体・道も市も積極的に雇用をしたと思います。中小企業は、こういう手厚い面倒は圧倒的に少ない。
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