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137億年を24時間に換算した大年表。サンデータイムズ科学記者クリストファー・ロイド

人種、肌の色、性別、国籍、親たち、金持ち・貧乏、目の色、背の高さ、事故(災害・天変地異)に遭遇の有無、遺伝的な持病、勤めた会社の倒産、配偶者の死、上司の選択、子供の有無、住む住環境の良し悪し、隣の国からの砲撃、テロとの遭遇、生まれた時代の国のトップが誰であるか、生まれた時代の文明程度の違い。数え上げたら切りがない(でもたぶん切りはどこかにあるはずだ)。

これは、自分の意思で選択できない事柄、しかし、生まれた人にとっては決定的な人生観の意味を持つ事柄だらけだ。大金持ちに生まれたばっかりに、汗水たらして働く労働の喜びを知らずに、貧しい人の心がわからず、財産を蕩尽して転落、這い上がれない人生にいくか、心機一転、他者への奉仕に目覚めるかもしれない。貧しい両親のもとに生まれて、小さな時から働いて家計を助け、働き者の〇〇さんと言われるか、生まれた社会を呪って犯罪に手を染めるかもしれない。この際、普通という概念はない。そこそこという概念もこの際、捨てたほうがいい。本人にとっては絶対的な事柄だらけなのだから。宗教も親から強制される。

人間は毎日、平均値とか偏差値で生きているわけではない。それは机の上の学者や役人が統計を作るときの指標であって日々を生きる実人生にとってはどうでもいいことかもしれない。イスラム教徒とキリスト教徒と仏教徒の平均値は何かなんて問題そのものがおかしいが、「宗教」というカテゴリーでいけば平均値は「人間」ということになるかもしれない。

ユダヤ教徒であっても仏教徒であっても無神論者であってもギリシャ正教であれヒンズー教徒であれアナーキストであっても神道であっても「人間」という共通項でくくれる。それは具体的な感情の動物としての人間で名前を持って番号で呼ばれる存在ではない。その日の事件や気分のあれこれで変わるお天気のような存在が人間かもしれない。自分の意思ではどうにもならない環境に生まれながらも、あれこれの事件や親切心に出会って人間は変わることもある。観念や妄想の力からテロが生まれるとしたら、その観念を生む土壌・社会が病気になっているとしか思えない。

毎日の地味な外交を放棄した果てに火薬を打ち込み爆撃機が殺傷行為をする。これを繰り返す果てには平和は来ない。いつのまにか、自分に肉体を曝す外交・付き合いより持ってる武器を他者へ見せつけ自分の肉体を隠す(抽象的な、後ろへ隠れる)人生観が地上を覆ってしまった。武器が市場経済では「金」(かね)にも変身している。ここまで、分裂をしてしまうと、火星人が襲来でもしないと人間世界はまとまらないかもしれない。ばらばらな時代の方がトラブルが少なかった、殺戮も。

不平等に生まれることにおいてのみ平等だとしたら・・・・・・・。しかし、ここまで書いて、でも「苦痛」というタームを入れると、背負う苦痛の量は、不平等に生まれるはするが、耐えられない苦痛というものがあることに気づく。水がない、食べるものがない、職がない、いつもいじめられる、DVに遭う。この苦痛をエイっと反転させるときに、事件が起きる。ホモサピエンスが狂った猿に見える瞬間である。

 

  1. 近代化が進んだ世界もテロには手こずっている。平和を願う一方で野放しにして解決するとは思えない。国家の首席たちは牙を向けられたくないがため建前論で具体論は話さない。識者と言われる者たちは批判はすれど解決策は何一つ持っていない。コメンテーターたちは心配顔でコメントするが答えはない。反論には代案がなければならないだろう。反論するには正論と思える意見が必要だろう。武器には武器なのか、話し合いは持てるのか、持てないのか。身を投げ出してもやれる仲裁役は誰がするのか。どこのネズミが猫の首に鈴をつけるのか。ちょうど我が家にマイナンバーカードの申請用紙が届いた。世間では囚人のようで番号を付けられるのは嫌だとの意見が多い。企業でも、社員の出入りをセキュリティカードでチェック。嫌な世の中だと思ったが、実際に嫌な世の中に突入してしまっている事を認識していないから嫌な訳で、少なくても個人情報の悪用には賛成できないが、テロなどを未然に防ぐための情報としては有効なのかも知れない。裏をかいたり騙したりする犯罪の根源は特定できれば被害も最小限に食い止められると思う。右傾化して来たと憂い嘆く人が多いが丸腰には銃口を向けない紳士なガンマンや侍なら秩序も保てるのだろうが、いきなり背後から自動小銃で無差別に(彼らには標的の意味があるかも)いつ殺されるかも知れない無法地帯化が現実に起きている。破壊をテーマにしたアメリカ映画のように地球上に誰が最後まで生き残れるかのシナリオの序章のようにも思えてならない。昔、前職の会社でフランスにケーキを食べに行くと、何度も休暇を取って出かけていたぽっちゃり女性事務員が居たが、果たして彼女は今でも呑気にケーキ食べたさにパリに出かけたいのだろうか?(ちなみに彼女の父親は自衛隊員だった)。平和過ぎる場所で空論を交わすのは容易だが、コメンテータも識者も現地中継で語り合えば、内容はもっと具体的な答えも出るだろう。しかし、その場に行くかは疑問だが。テロの目的の一つはメディアでの宣伝効果だが、既にその目的に多くのメディア関係者が乗せられ、世界中に不安を駆り立てているのも事実だ。今やトップニュースは戦闘ゲームソフトの中身にも似た大量殺りくになってしまった。アメリカなどの銃規制も進まない理由をまた作ってしまった。日本のテロ対策のシミュレーション等を映像で見せられても昔の捕り物みたいで、あれでは犠牲者が出るばかりで、かえって不安になってしまう。007みたいには行かないとしても、犠牲を最小限に抑える近代的な捕り物を見せていただきたいと思う。死にもの狂いとか決死の覚悟と言うが、まさに死ぬ前に多くの命を道連れにする特攻そのものだ。最後に「おかあさ~ん」と叫ばないところに、かつての日本人との違いがある。家族の絆さえも。

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