イベント失敗談(2)
4月11日のブログで、健康イベントで人が集まらず大苦戦の失敗談の話を書いたが、今回は思い出すだけで、当時のことが(関係者の表情まで)ありありと浮かぶトラウマ・イベントだ。もう定年で引退したから書ける話で、これが私が現役なら、どこも私には発注しないだろうと思う。それは、ある公共団体の全道大会で、当時、職場改善運動(QC運動)が盛んな時期。「私はこの職場でこういう問題点を見つけて、こういう風に改善して、なかなかいい効果がありました」と各地区から代表が集まり、参加者の前でパネルやスライドを使って発表する大会運営を受注した。
事前に全員の資料を人事部からもらい、100ページ分の読本資料を300部、前日までに納品しなければいけなかった。できるだけ利益をたくさん出せるよう、安い見積もりの会社へ発注したまではよかったが、前日になっても納品されない。これはまずいと実際、印刷している会社へ見に行くと、おじさんが一人でのんびり軽印刷の機械を動かしている、隣には寝たきりのおばあさん、猫がニャオーと泣き、私も泣きたかった。どうしたのこれっ!!!このままいくと明日の朝の納品が間に合わない。印刷と太いホッチキスで止めて徹夜作業、そのときには全社の営業マンに出動してもらい、ある人はページ揃え、ある人はホッチキス、ある人は表紙を付けて積み上げるそして運搬作業。結果は間に合わなかった。
とりあえず、部数はできたが、ページの順番ばらばら、めくるうちにページが剥げてきて落丁するわ(後日、完成品は参加者全員に届けたものの)大会当日は使い物にならない。大会はスライドと説明員がなんとかこなしてもらったが、怒り心頭の人事部担当者。生まれて初めて土下座した。万事休すと思った瞬間、辞表を会社に出すことがよぎる。人事部との沈黙の時間の長かったこと。頭が真っ白になってよく覚えていないほどだ。しかし、このとき私の直属ではない上司が、一緒に土下座してくれた。直属上司は「用事があるから」といなくなった。この差はなんだろうか、そのときそんなことを考えて今の辛い自分の気持ちを別なところへ向けた。
大会の責任者・人事担当者は、これが原因かどうか知らないが、地方へ飛ばされた。彼の人生も狂わせたのかもしれない。イソップではないが、教訓は、多少利益が薄くなっても安心して出せるところに出す。仲介する会社を一つ入れて丸投げして、どういう規模の印刷会社が作るのかを確認を怠ったということだ。直接、印刷会社へ出せば何事もなかったイベントでした。油断大敵。イベントは成功してあたりまえなので、そういうものは記憶に残らないし、そんな自慢話は聞いても面白くもない。失敗から、みずから学ばないとね。段取りと発注先が仕事の成功の90%を決める。10%は天候と事故だ。講演会を冬に実施するも危険。大阪から講師の事務局長が飛んでこれないことが一度あった。「マイはし普及の講演会」だ。そのときは副事務局長が先の便で来ていて、「私,講義できますと」言われて、彼が仏に見えた。ヤクザや暴力団が関わらない限り、命を取る人はいないから、まじめに仕事はしましょうね。
iida
またまた、貴重な失敗談暴露ありがとうございます。こんなお話が聞きたいのです。自分にも当てはまったり似たような経験を思い出したりします。毎月一回10ヵ月連続講演会「北海道文化塾」(今や独り歩き)を立ち上げ著名講師を呼んでいましたが台風が接近したり雪害やらで飛行機が飛ばなかったら?講師の方が体調崩したら?事故が起きたら?沢山の受講者(800名~1000名)にどう対応するか、いつもひやひやものでした。マネジャーや付き人がいない講師は特に途中連絡が取れなかったり我がままだったりマイペースで胃が痛みました。言い方は悪いですが地元の替え玉?の講師の方に会場に来ていただいたり、受講者の救急のための医者や看護師を招待したり、気をいくら使っても足りないのがイベントですね。ある時は戸外でテントやバックパネルが強風に飛ばされそうになって吹雪の夜中に現場に行き、自分でロープを掛けて固定物に縛ったり、杭を打ったり、業者の方に夜間作業をお願いしたり、見えないところで苦労があります。事が起こる前に予測できない事ばかり起きるわけで万全の対策とは?どこまでを万全と言うのか定かではありませんね。実施中も無事終了して欲しいとだけ祈りながら成功して当然と思われ、失敗すれば罵倒されて責任を取らされます。こんな危険な賭けのようなイベントをやらなければいいのですが、危険な賭けなのに、何故かやりたがる僕達のような人がいるのです。何%かの成功例の達成感が忘れられずに・・・。