「相手への要求水準を初めから低めに設定するのが」人間関係をスムースにするいちばんの方策だ。2006年に亡くなった精神科医斉藤茂太さん「モタさんの言葉」(講談社)71p。結婚にしろ、もともと他人同士が暮らすのだから、50%の満足度でいいと。腹八分目主義を貫いた彼の人生観だ。

だから、人間関係をスムースにするには、初めから相手に対する要求水準を低めに設定すればいいんだと。これは自分の感情や気持ちの高ぶりや失望感でわかること。何度も繰り返すうちに、相手への要求水準を低くすれば、不信感や怒りの感情の渦へ巻きこまれないで済み、気持ちの平安が保てるというわけだ。配偶者はもちろん、子供や近所付き合い、仕事関係でもこの原則を貫くと気持ちよく生きられる。

「圧倒的多数の人は平凡で、世間にふれ回るほどの才能やとりえはないかもしれない。でも、そんな自分でも、悪事をなさず、多少は人さまのお役に立ち、家族と生きている・・と思おう」なんだか相田みつをの言葉と重なってくるようだ。似たような言葉でモタさんのメモ「毎日、大した仕事をしていないところに男の本当のえらさがある」(柴門ふみ)も引用している。

毎日、通勤しているだけでも凄いと、うれしい限りの言葉だ。成果主義や効率主義や費用対効果、選択と集中や企業の資源の分配やら、対前年売上比の表やら、新規事業の立ち上げやetcに関わってきて、大した実績も残せず定年を迎えた筆者にすれば黄金の言葉の数々であった。

特に、相手への要求水準を低く設定する、ということは親(特に母親やそれなりの地位についた父親)が総じて陥る、子供への要求の高さ(期待)と失望で出てきやすい。学校や勤める企業、後々、結婚する相手の家族歴詮索行為とか、結局、親自身の見栄が子どもの未来を潰すケースが身近に本当に多い。

自分の場合も娘の結婚のときに悩んだが、分析すれば自分の見栄が勝っていただけということに気づいた。相手への期待値を下げると、ラクラクな人生を歩める。しかし、その分、自分が頑張り過ぎて病気にならないよう気をつけましょうね。ある企業の営業マンが筆者に「数字のない部署へ行きたい。毎月、売上に追われるのはコリゴリ」と。まだ29歳だ。「早く定年を迎えて年金生活をしたい」。「人生はプロセスなんだけど。何もしていないじゃないか?」と私は彼に何度も言ったがわかってくれただろうか。

両親から「無いものねだりはしないでね」とよく言われた。〇〇が欲しいと言ってもお金がないから買えない、無理難題を言いなさんなという意味が、この年齢で実感するとは筆者も幼稚な人生観で生きてきたものである。

初めから相手への要求水準を低めに設定する。「あの人、約束を反故にしたり、よく遅刻するんんだよ」と思えば、文庫本をカバンに詰めて行くといい。イライラしないで済む、心身の病気の予防でもある。

  1. どんな関係にせよ、所詮人間はそれぞれ違う環境で生きてきた他人同士。でも気になるから自分の尺度で測りたくなるもの。自分の物差しって何だろう?。自分の中での常識を、あたかも世界人類共通とばかり思い込み、他人に押し当てて批判するためのものか。教育や書物や家庭で道徳を教えられてもみんな一様に従うわけでもなく、中にはグレる者もいれば犯罪も起きるのが現実。結論は「他人は他人、気にしない事」なのだろう。他人の生きざまを批判しても、自分もきっと別の他人から批判されているのだろうし、お互いに罵り合っても、いがみ合っても、そんな情景を別の他人から見れば「他愛もない、大人げない」と批判されるだけだろう。人はとかく身近な他人と比較・批判したがるもの。自分も比較・批判されているとも気づかずに。自分の物差しは自分の身の丈専用にしか使ってはいけないと言う事なのだろう。

  2. 家庭の事はほとんどタッチしていないで朝出て夜遅く帰宅する僕も、少しは役に立っているらしい。他人同士一つ屋根で家庭内別居中だが、朝の一瞬だけリビングやキッチンで顔を合わす程度だから他人より接点が少ないかもしれない。僕に期待されているのは健康で長く働いて欲しいと願われいる事らしい。つまり病気で入院もせず二か月に一度の年金をちゃんと貰い、家族のためになって欲しいと言う事だ。今のところ期待通りに役には立っているようだが、自分の年金もすべてお任せ状態で屋台骨がどうなのかは全然知らない。給与明細は一切見せないが、僅かな給料の半分しか渡していない事を考えれば年金を全部あげても仕方ないと思う。いくら預けても金利が貰えるどころか、さらにマイナス金利で取られるばかりだ。

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