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1855年 安政の大地震後 書かれた版画

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丸の内

図説「地震と人間の歴史」(原書房・2013年刊)によれば、1年間で地球上で放出される地震エネルギーの実に10%は日本に集中しているという。

アンドルー・ロビンという英国の自然科学者の本に書かれてある。2030年代に発生が予想されるマグニチュード9以上の南海トラフ巨大地震。東日本大地震の復興途上にもかかわらず、さらに桁の大きな津波や地震がこの本を監修した京大の鎌田教授のまえがきに書かれてある。週刊誌で、毎月のように大地震の話題は書かれているが、津波は34メートルと予想されている。

自分がいま働いていたり・住んでいる場所の海抜は何メートルかはネットですぐに検索できるから便利だ。ちなみに札幌駅で日本海から海抜約20メートル。私の住む場所は太平洋から30メートル。新千歳空港は30メートル以下かもしれない。空港の下には追分断層という活断層が南北に走っている。ここに限らず、日本じゅう活断層のない所はありませんというのが正解かもしれない。

東大地震研が書いた「日本活断層地図」があるけれど、予算がなくて全部を調査できないとも書かれてあった。だから、日本列島で起きる地震や津波はどんなに大きくてもすべてそれは「想定内」と思って物事は勧めた方が、日本の過去の歴史や地震体験・記録を見てもリスク管理面から考えても正しい選択だと思う。無駄な議論と時間を使わなくて済む話。自然からみたら、想定の内外は全く関係ないことだ。

これに加えて火山の噴火もある。私も有珠山の爆発を身近にしているから、洞爺湖温泉街のゴーストタウン化もあった。支笏湖そのものも樽前山の大爆発でできた窪みだから、湖の多い北海道は九州や中部地方東北もそうだけど火山だらけだ。

お隣の中国も地震大国で、3000年前から記録があって(記録に残していること自体凄い!)、これまで地震で亡くなった人は1300万人以上、そのうち83万人は1556年の想像を絶する地震からだと。吉川弘文館の世界史年表には明帝国の項目に書かれていないのを発見した。1775年11月1日のポルトガル・リスボン大地震は首都を壊滅的にしたにもかかわらず、ヴォルテールが「カンディド」で書かなければ、歴史の記憶から消えている。ヨーロッパの経済、政治、知性の僻地とみなされていたからだ。津波もあって約3万人が亡くなっている。

ところで、この本に映画監督黒澤明の名前が出てくる。1923年の関東大震災のときに彼は13歳、中学2年生だ。山の手に住んでいたが、自宅は半壊状態ながら運よく家族全員無事であった。60年後、彼は自伝「蝦蟇(ガマ)の油」(岩波書店)を執筆、この中に兄貴と廃墟の遠足を試みた文章が引用されている。「私は、まるで遠足へでも出掛けるような浮き浮きした気分で、兄と一緒に出掛けた。・・・・その遠足がどんなに恐ろしいものかに気がついて、尻ごみしたときはもう遅かった。・・・・怯える私に無数の死骸を見せた。・・・・兄は私の手を掴んでどんどん歩いていく。・・・・黒焦げの屍体も、半焼けの屍体も、どぶの中の屍体、川に漂う屍体、橋の上に折り重なっている屍体、四つ角を一面に埋めている屍体・・・あらゆる人間の死にざまを、私は見た。私が思わず目をそむけると、兄は私を叱りつけた。(明、よく見るんだ)・・・・・死骸の山の一つに、座禅を組んだ黒焦げの。まるで仏像のような死骸があった。兄はそれをじっと見てしばらく動かなくなった。そしてポツンと言った。(立派だな)私もそう思った。」

*「蝦蟇の油」を入手したので後日、読了したら書くかもしれない。少年時代の黒澤明は泣き虫でいじめられっこであったと自分で書いていた。指につばきをかけて書いた絵をクラスメートからゲラゲラ笑われたにもかかわらず、三重丸をつけてくれた絵画の先生への感謝の話を感動的に描いている。それ以来、絵を書くのが大好きになり、映画監督になって絵コンテを丹念に描くようになったのにつながっている。何がどう転ぶか、人生わからないものである。

 

  1. 大地震の後の光景は幼かった僕の脳裏に今もハッキリと焼き付いている。直下型だったのだろう、無数の三角屋根だけが地面に残された中を、ようやく復旧した電車で親戚の見舞いに向かった時の光景だ。地震の恐ろしさを経験すれば人は学習し、いざと言うときにも対応できる。あのころ子供も綿入れで作った防空頭巾(戦時中の知恵)と衣類と靴を風呂敷に包んで枕元に置き就寝した。余震が頻繁に起きて夜中でも飛び出さなければ田舎の頑丈な梁や柱の家の下敷きになってしまうからだ。逃げる場所は暗黙の了解で決まっていて竹藪だった。孟宗竹の根は網状に絡み合って地面が割れても落ち込む事はないからだ。竹林は公園などよりも確実に人を助ける自然の避難所だ。もう一つは吊り橋だ。橋も地震には弱くたちまち崩れ落ちる運命だが吊り橋は違う。揺れはしても決して崩れない。昔の経験からの知恵を生かせばいいのだが現代はお洒落優先でカッコが悪く、ダサイ事を嫌う風潮がある。しかし、流行りのファッションだけでは災害時には生き残れないだろう。「災害は忘れなくてもやって来る」

  2. 「地震・雷・火事・親父」と言った昔も、今の世の中も怖い物だらけだ。「テロ・ミサイル・サイバー攻撃」も加わって益々物騒になっている。最近ではあちこちの山が「噴火」を初めてもいる。何かの前兆なのか。人間は煮えたぎったマグマの上のシュークリームの皮程度の地表に長年住みついているが、何の心配も感じずに家やビルを建て穴を掘って地下鉄を通したり核実験をしたりしているが、マグマが噴き出せばひとたまりもない。山を一瞬にして無くしてしまったり、海だって何処だってお構いなしに噴火し山や島を作ってしまう。自国の島だの他国の島だのと陣取り合戦もたわいない。全ては自然に従って生きていくしか方法は無いと気づけばいいのだが。自然をコントロールできない以上は。

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