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歩いて5分の市立図書館(14万冊所蔵)

私のブログを読んでくれている人から、「どうやってテーマを決めるの?」と聞かれたとき「気分任せ」と答えた。狭い読書と浅い人生経験と独断傾向が強い考えで書くのだから。「困った時の老子頼み、イソップ頼み、私の日ごろの愚痴頼み」だ。日本一美しいブログを目指しているので、グーグルWORDPRESS使用で、筆者の参考になる美しく内容のあるブログが他にあればご紹介ください。去年の3月18日から始めたので、ちょうど14カ月を過ぎた。朝日新聞1面の鷲田清一さんの突き出し記事を回数で超えてしまった。来場1万8000人、読んだ人8900人、3万7000ページビューで推移してる。新規とリピーター半々。男70%、女30%。平均滞在時間3分。報告まで。

マニアックといえば回数的に一神教への不信や残酷さへの嫌悪感が出ていると思う。サラリーマン時代、自分の趣向も昼ごはんを選ぶとき、カレーライスがいいと決めたら一点食い、安いラーメンと思えばそこばかり。同伴者を変えては同じものばかりを食べていた。野菜取らず偏食で、糖尿を発症。ストレスから来る偏食や暴食が災いした。ストレス多いと目の前の快楽を選択するらしい。

とはいえ、テーマ選択のヒントは上の写真の図書館だ。新刊コーナーを見てから、ジャンル別の棚へ移動する。ベストセラーは読まないから本探しは悠々とできる。黒澤明の全集もある。初代の図書館長が映画好きであった関係かもしれない。黒澤明と井上ひさしとの対談もあって感激した。(2月10日掲載)。

発見としては、いつも行く場所ではないジャンルを歩くと思いがけない本に出くわす。豚肉の歴史、ペストの歴史、印刷の歴史とか。また少年文庫でイソップ物語を発見したりする。ネット偏愛すると、自分の好み・考え方に似た傾向のブログとかニュースにまみれて、思考の幅が狭くなると思うがどうだろうか?えっこんな考え方や人がいるのだという発見から遠くなると思う。

これは人間関係の作り方にも言えて、いつも同じ人とばかり付き合うと、偏見を植え付けられて、また相手に植え付けてしまい、自分の器を狭くする危険があると思うから、許容(守備範囲)は広く構えて生きたい。本選びも友人選びもブログのテーマ選びも似ているなと思う。選ぶときには、その人の価値観が反映されるから、意図的に違う人と、違うジャンルへ挑戦していくと面白い。

しかし、苦手はケータイ小説や占いや趣味のコーナー、小説や時代劇には手が伸ばせない。CDで藤沢周平や夏目漱石、芥川龍之介の朗読を聞くようにしている。落語CDもたくさんあるから語彙を増やすにはいい刺激になる。新聞・テレビ・評論・会議で出てくる語彙ばかりに囲まれていると『士大夫、三日、書を読まざれば、喋る言葉に味がない』になりたくないからね。先日、図書館完成後、一体、自分は何冊借りたか調べてもらうと4900冊になってました。半分以上は完読してない。でも5000冊の大台にあと少しだ。

  1. 読書も大変、ブログも大変だ。思い立った時だけならまだしも、毎日欠かさずは大仕事だと思う。何かを犠牲にしなければできないだろう。私はフェースブックも、とっくに止めてしまったし、ブログも時々。PCのEメールだ、PCのヤフーメールだ、スマホのショートメールだ、スマホのラインだ、と毎日打って、毎日受けて、そのうえ仕事でも文書を作ってPCで打ったりする時間で終始。考えてみれば毎日毎日文字と関わる時間が大半を占めている事に気づく。通信機器の発達が全ての人の文字を扱う時間を増やしている反面、文字を書く事が無くなり、自動変換による誤字脱字も多くなり、自分でも知らない難しい文字を使っては見たものの、実際には書けない状態に陥ってしまっている。こうなったら、高級万年筆でも手に入れて書く楽しみを味わったり、毛筆で書を描いたりなどした方が良さそうだ。小説でも書こうか?でもまたPCに頼ってしまいそうで・・・。

  2. 青春時代のラブレターを思い出した。今、思えばずいぶん大胆な行為だと思う。しかし感情の高ぶりで夜書いた手紙を朝読み返すと、投函をためらってしまう。そこには自分でありながら自分ではない自分があるからだ。朝書き直す時間もないのでお蔵入りとなる。今ならスマホでいいわけだが、これも危険。一度「送信」を押せば間違いなく、即、届いてしまうわけで取返し付かない。つまり冷静に校正する事が無くなったからだ。覆水盆に戻らず?

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