低欲望社会になってしまった(第1回)
『東洋経済新報』のHPの中に大前研一さんがレポートで発言していた言葉。『低欲望社会』。2015年現在で国民の総資産が1700兆円。貧富の格差はますます広がるばかりだけど、国民は国も信用せず、せっせと預貯金に励んでいる。年金でさえ、預貯金に回している人も多い。それが積もり積もって1700兆円になっている。
1%だけでも吐き出せば17兆円もある。超福祉国家なら、老後は全部、国にお任せください、自助努力は要りませんから、最後まで面倒を見ますから、貯金などケチなことはしないで存分にお使いくださいとなったら、さあ大変。欲望は他者の欲望を模倣する原則から言うと、誰かが駆動すれば、一斉に、消費があちこちで増大するはず。しかし、現実は真逆で、こんな低金利ならお金は『預ける』のではなくて『借りて運用する』方がずっと利益を生むはずだが、静かだ。
死ぬ寸前が最大の預貯金残高になり、財産問題を子孫に残す羽目になる。老人は実は自分の子供(子孫)さえ信用していないところもあって、特に結婚した娘や息子が虎視眈々と自分の財産を狙って近づいてくると思い込んでいる。現実、そうだ。子供たちにも老後が、親と同じように近づいてるから、少しでも兄弟の中で多くの取り分を取ろうとする駆け引きが始まる。その兄弟の子供たちも給与も高くないし、勤めている今の会社もいつまで働けるか未知数の世界に入ってるから、実の親から金銭を多く出させて、自分たちの貯金額を増やそうとする。自分の娘を見てもそうだから・・・。生きてる間は使おうとしない。
できれば親の実家もいただき住宅ローンを組まなくていい生き方もある。若い世代は『車は欲しくない』という男も多い。特に都会では。燃費問題に関わる必要もないし、駐車場代金、ガソリン代、重量税、任意保険代、車検代、修理代など金食う虫かもしれない。ハイブリッドだなんてだまされてはいけない。そもそも自家用車は必要ないのだし。遠出はレンタカーやリース車、天気が悪い日の買い物はタクシーに限ると思えば安い安い。
雪国はこれに加えて、除雪があるから困ったものだ。冬に雪に使うドライブ神経は並大抵ではない。タイヤもスタッドレスで筆者は国道のツルツル路面でコッツン事故を起こして、道警が来て『傷は何もないですね』と帰った後、車の持ち主が虫眼鏡で見たような微粒な私のペンキを発見、弁償する羽目になった。こんな悩みを持たなくていい。『悩みは物を持つと同時についてくる』。 (物は家とか家族、車、テレビ、子供も含める)
話を戻せば、1700兆円の資産は金融機関の中に眠っている。先行投資をするための融資も先細りで、結果、系列のいわゆるサラ金(かっこうよく社名を変えてるが本質同じ)へ融資して、高い金利で返させる。明日の暮らしを支えるためにネットでついつい借りてしまう。無審査で貸すというから恐ろしい。金融機関が貧困ビジネスに手を貸している。そこに『過払い金の返却を求める』司法書士・弁護士の相談会のチラシや広告が入る。これは全部、一列に並んだビジネスとしか思えない。
ある人に老人に上手なお金の使い方がないだろうかと話したら、富士山を背景に遺影を撮るツアーはどうだろうと言われた。医師と看護師を連れて、車いすを押す人も含めて全国で募集すると成功間違いなしだと。旅行代理店&写真館主催で。ブラックジョークだね。旅行会社勤務の人がいたら老人ホームと提携して提案する価値はあるはず。
昔、昔の少年
預貯金だの財産だのと、僕の場合、全く心配ない。元々貯えが無いギリギリの暮らしでやりくりして来て、今では給与さえも減らしている。多く貰えば退職後の税金も払えなくなるからだ。それにしても、年金に所得税や住民税や介護保険料などが差っ引かれる。20歳から薄給の中から無理して、コツコツ納めて来た年金も、ようやく貰える立場になればこの有様。このカラクリを最初から知らされていれば年金より、預貯金の方が税金の対象にもならなかったのだ。年金は金利が付くどころか、散々運用された挙句に差っ引かれた残りをくれる仕組みだ。現代の若者は、こうした年金受給者たちの嘆きと、高齢化で自分世代の高負担を知ってしまっていて年金など納めたくないとなる結果、僅かな金利でも預貯金の方が安心なのだろう。しかし、今度はマイナンバー制度などと、僅かな預貯金や個人財産などさえもガラス張りにしようと、政府は何かを企んでいる。政府機関とつながっている銀行も、おいそれと信用できない時代に入って来た。財産など持たない僕にはほとんど影響は有りませんが・・・。
匿名
財産を心配するドラマなど遠い遠い別世界の話。何も持たない、何も残さない主義が自分にとっては一番。しかし、子や孫に少しでも何か残してあげたいとは思う。できる事と言えば住宅くらいか?しかしその頃には資産価値は下がり、修繕費がかさむだろう。有難迷惑かも知れない。物欲は誰にもあり、家を、クルマをと自己所有したがり、そのために長い年月をかけて働いて来た。住宅ローンなどの負担も終わって見れば、ローンは家賃がわりとしても、自分の所有物に取得税、消費税を払っているのに、さらに固定資産税が毎年掛けられる。借家のままの方が、ずっとおトクだったと。クルマにしても全く同じで、取得税、消費税、重量税、自動車税を払ってローンを組むが、毎年掛かる自動車税や車検代と同時に重量税などのほかにタイヤや部品関係に相当掛かる。家も、クルマも借りた方がまし。と思うが、隣に車があればウチにも。友達や同僚が家を持てば自分も戸建てかマンションを。つまり借金が働く意欲や原動力になっているのだろう。物欲のない人生も遠い遠い世界だ。
匿名
消費社会がアメリカから日本にやって来て、暮らしそのものが欧米化して久しいが、豊かだと感じていたのは実は全ては自分達の犠牲の上に立っている事に気づくのには長い年月を要した。昭和も歴史になった今、平成の世代はモノに対する考えも変わって当然だろう。消費の時代、捨てる時代、買い込む時代、モノの飽和状態を浄化するには、借りる時代へ、リサイクルの時代へと変化する事は正解だと思う。農業なども法人化が進み、機材や設備の共同使用など、各方面でも徐々に、新しい考え方が芽生えているのも事実。列島改造論などと高度成長を掲げた田中角栄氏も巷では坂本龍馬に継ぐ歴史上の人物らしい。