恋愛と結婚について
町田康『人生パンク道場』(KADOKAWA)の相談コーナーで、『恋愛は不在の不安に妙味があり、結婚は常在の安心に意義がある』と答えていた。うまく答えるものだと思った。
不在の不安は『いまどうしているのだろう』とか彼・彼女がここにいないことについてあれこれ妄想をたくましくする。今ならメールで確かめる。その恋愛の延長に実は結婚はないかもしれない。『常在の安心に』至れば『ドキドキした不在のときに味わった宝物のような時間が消えてしまう』。何とも言えない会うまで心配な気持ちの高ぶりが、結婚で常在されると無くなってしまう。平気でオナラをするようになると幻滅の世界だ。いまの私だ。
恋愛と結婚は向かっているベクトルが違っている。結婚を失敗と考えて、別れる人の多いのもこのあたりの考え方・感じ方ですね。『恋愛を志向する人はそれを灰色のつまらない日常とネガティブにとらえ、結婚を志向する人はそれを穏やかな日々と肯定的にとらえます』(町田康)しかし、若いときの自分を考えれば、冷静に恋愛と結婚を分析して熟知している方がおかしいので、意外や自分の親ではなくて叔父さんやおばさんなど10歳も20歳も先輩の方々に聞くと的確な判断をしてくれるかもしれません。甘い人間判断をする私も『このカップルは無理』というケースがままある。反対すると火を点けてしまうからよけいにたちが悪くなる。そして悲惨な(本人たちにとってよかった)結末になる。
男の側からしか私はわからないが、ひとりで生きていくだけでも大変な世の中で、さらにデートでお金を散財して、金をケチれば(嫌われるのではないか)と思い、かっこつけないといけない男たち。付き合う女性との飲み食いでは『100%、男が支払う』価値観で生きてきたので(いまはどうなの?)、元々散財気味の私であったから、自慢ではないが、結婚前は預貯金ゼロ円だ。
結婚式3か月前から10万づつ貯金して30万円で新婚旅行代を捻出。人生、生きてればどうにかなるものだ。結婚して転職3回。借金がないのが財産ですよと連れに言っても『口ばっかり!』ときたもんだ。口ばっかりの人生で先日36周年の結婚記念日。新装なった札幌市郊外の藻岩山ロープウーエーに乗って、頂上レストランで食事と相成った。しかし、36年一緒にいてわかったのは、『女はわからない』ということがわかった。そもそも面倒くさくて筆者が『わかろうとしない』のが正直な答えかもしれない。自分で自分のことさえわからないのだから仕方ないか。
書いていて恥ずかしくなったテーマでした。
ゲンキ・ハツラツ
女性は「サプライズ」が大好きです。だから男性は「毎日サプライズ」を考えて、それを実行していなければいけません。面倒がらずに。コツコツと。マメに接して行かないと破局します。「サプライズ」も手を変え、品を変え、考えるのは大変です。が、さりげなく、苦労を見せてはいけません。全身全霊をもって自分の全てを表現して、あくまで優しく、気を長くして、コマゴマと気配りをしてあげれば、彼女は「お姫様気分」になってゴキゲン麗しくなるでしょう。しかし、それだけ努力しても努力の終わりは無限に無く、少し手を緩めれば、こう言うでしょう。「最近はサプライズが無くなったのね?」と。でも、気を落とす事はありません。彼女も内心は自分から気を引こうと努力を始めた証拠だからです。
結婚指輪も嫁が買った男
結婚のきっかけは、苦しい生活からだった。二人の稼ぎで一つのアパートの部屋を借り、食事も洗濯もお風呂もすべてが一つで済む事と、これまでに無かった異性との暮らしの願望からだった。しばらくはお互いに気づかい遠慮もあったが、そのうち喧嘩も絶えなくなった。ほとんどの原因は自分勝手な僕にあったような気もするが、或る日、帰宅すると、家の中が真っ暗で人気がなかった。出かけたのか?と思ったが、どうやら幼子を二人連れての家出のようだ。困った事になった。しかし、彼女の実家は本州で急に飛行機や列車で、しかも子連れで帰ったとは思えず、暫く考えて固定電話台の上のメモ帖を何気にボンヤリ見ていた。と、そこで「もしかして?」と閃いた。次の瞬間、僕は鉛筆の芯でメモ帳の一番上の紙を擦り始めた。思った通りの結果が出た。興奮して書いたであろう強い筆圧の電話番号が白いメモ紙から浮き出て来たのだ。即座に電話してみると何と旅館の女将が出た。「そちらに〇〇〇〇がお世話になっておりますか?」。「ハイ!いらっしゃってますよ」。「お宅の住所を教えていただけますか?」。「○○区○○〇丁目〇〇条〇丁目ですが」。「ハイ!ありがとうござました」。電話を切ると、クルマですぐに向かった。家から20~30分で歩いて行ける場所だった。玄関で「〇〇〇〇の家の者ですが、呼んでいただけますか?」。と、彼女と子供たち二人が現れ、「えっ?どうして判ったの?」。その夜は、我が家に近い旅館で家族4人が泊まる事になった。シチュエーションは違っても、結婚生活の中ではこんな事件も何度もあるが、どとらかが、諦め、どちらかが我慢をして生きているのだろう。恋愛時代には想像もしなかったシナリオだったが。
妄想族
恋愛も結婚も今や古いテーマなのかも知れない。結婚をしたくない、恋愛もしていない。友人や仕事関係だけの付き合い、はたまた肉体だけの関係など、割り切った生き方もある現代では、結婚もビジネスにならなくなるだろう。人は生まれて産婦人科病院のお世話になり、保育園や幼稚園や学校のお世話になり、成長すればケガや病気でまた病院のお世話になり、結婚でホテルや式場のお世話になり、家を建てればハウスメーカーのお世話になり、長く生きればまた病院のお世話になり、最後は葬祭業のお世話になるが、人の一生に関わるビジネスは不動のモノと思われて来た。しかし結婚しなければ、これまでの神話は根底から崩れる。ただ一人の一生で終わるのだから、ビジネスだってこれまでの4分の1とか、5分の1に減少していく事になる。小学校の現状を見ても中学校の現状を見ても児童生徒の少なさが将来を物語っている。一生を恋愛だけで終わるのか、人を嫌って生きるのか、個人の自由だが、ドラマや映画のシナリオも過去のような恋愛や結婚をテーマにできなくなるかも知れない。
昔、昔の少年
結婚式は質素に、普段着で北海道神宮で執り行った。挙式費3万円と、写真館で記念写真代だけだった。それでも仕事仲間の友人2名が列席してくれた。来月結婚しますと宣言して入社した広告会社では、挙式の後にススキノのクラブを貸し切って披露宴をやってくれた。お金は社員有志が持ってくれた。お礼に二人で歌を披露した。以前音楽部に在籍していて部長、副部長だった僕たちは「世界は二人のために」をハモッて大拍手をいただいた。外は雪が降っていた。お金のない僕は、せめてもの贈り物にと「彼女の誕生日」を結婚式に選んだ。経済的に不安な中での結婚は大冒険だったが、第一子が生まれた時は、もっと不安に駆られた。しかし何とかかんとか暮らしてこれたのは、二人とも仕事が好きだったからではないかと今更ながら振り返っている。