穂別、幻の豚肉
筆者はことしの3月末日まで西洋骨董のアルバイト仕事をしていたが、一身上の都合で辞めて、しばらく私の知り合いで『やる気のある様々な業種の人たちをつなげるボランティア的な仕事(趣味)をしていた』。札幌にある大きな酒問屋に勤める若者たち、前向きに新しい切り口の提案やイベント参加に情熱を持つ若者たちと私の住む町で55ヘクタールの農地を持つ農家の経営者。彼はTPPに危機感を覚えてJAだけに頼らない新野菜の植え付け・直接販路も考えていた。新鮮な道産食材を探す酒問屋経営の飲食店と農家の対面もうまくいき、あとは若者同士のやりとりに任せた。アスパラガスの供給が開始されて流通が始まった。さらに注文の新野菜の栽培も始めた。
次は恐竜で有名な日高穂別町の豚肉だ。昨年、北海道庁で筆者と養豚業者で豚肉を焼いて道民へ試食させた間柄だ。彼の仕事に向かう誠実さに打たれて名刺をいただき、メール交換が始まった。
先ほどの酒問屋経営の飲食店でこの『幻の豚肉』を食材にメニュー開発できるかもしれないと、試食用に豚肉を送ってもらった。シェフが料理し、焼いたりして社員で食べてもらうと『超美味い』と太鼓判。あとは流通と値段。これも既存仕入より安く買えた。この肉は札幌大通り7丁目で5月18日から29日まで開催のワインガーデンでデビューする(写真のロゴ)。お越しの節は賞味してください。幻の豚肉と新鮮なアスパラがコラボで食べれます。
ここまで来るのに約10か月かかった。ネーミングを考えるのは楽しい作業だ。『ジュラシック穂別ポーク』が優勢であったが、USJからクレームや裁判を起こされる危険を回避して断念。結局、養豚業者が、数年前に穂別の豚肉の名前とロゴを地元高校生へ依頼したら、ある女性が『ほべつとろりんとん』というかわいい書体と豚さんのイラストを書いていて、日の目を見ないで眠っていたので採用させてもらった。難しい『穂別』を『ほべつ』へ『美味しい肉味』の表現を『とろりんとん』とは!東京オリンピックのマークより数段上回るロゴだ(と筆者は思う)
現在、5500頭の豚を穂別ダム湖、湖岸で肥育していて、湖と針葉樹林に囲まれてすくすく育っているから美味しいはずだ。先日、豚舎を訪れたが、ブーブーの鳴き声は聞こえたが入れなかった。豚は人を見るので、初対面の人に突進してくる危険があるので入れられない。また、雑菌に豚が感染しやすいので肥育には注意に注意を重ねているという。カメラで可愛い子豚ちゃんを撮影しようとしたが甘かった。
きょうは穂別のPRをしてみました。新千歳空港からすぐに札幌へ行かず、時間があれば穂別へ出掛けて恐竜博物館見学をお勧めします。日高山系は地質からいくと古い大地で恐竜の骨がたくさん出る。
2016年2月12日に『豚肉の歴史~フードタブーの発生~』を書いてますのでそちらと併読すると豚肉の薀蓄が味わえるかもしれません。
西洋骨董のバイトを辞めて、筆者は6月から週に3回くらい札幌でのサラリーマン生活に復帰する予定。大好きなJR通勤が始まる。どうして通勤がこんなに好きなんだろうか、近々『通勤の社会史』という英国人の書いた本について書くのでお楽しみに。73億人の世界人口でわずか5億人しか通勤をしていない現実に愕然。通勤は贅沢な習慣かもしれないと思うこのごろ。定年になってしみじみ実感する。
昔、昔の少年
穂別は恐竜の里として道内では有名になったが、僕が高校生時代に居た福井の勝山も今や恐竜の里として有名になった。僕が居た頃には、そんな話は全く無かったのに、一つの恐竜の骨の発見をきっかけに発掘が始まったようだ。僕たちは知らずに恐竜の化石を身近に踏んづけていたのかも知れない。それにしても、今でも信じられない。日本各地には、未だ未だ太古の生物の化石は眠っているのだろう。考古学者よりも、地元の子供たちが川遊びや釣りをしていて発見する事が多いのも驚きだ。
昔の少年
人脈とか言いますが、人と人、モノとモノをつなぐのは誰にでもできるものではありません。相手の人間性やモノの良さなどがマッチングしなければ成り立ちませんね。形になったわけですから、立派なボランティア活動です。社会貢献は誰しも抱いてはいても、実現している人は少ないでしょう。宗教嫌いの様ですが、もはや立派な宣教師ですよ。
昔の少年
豚肉を食べたのは北海道に来てからだ。貧乏我が家も、本州の田舎では肉は牛が常識だったし、鶏肉は自家製、時には、兎や猪や熊肉などは食べた事はあっても豚肉は無かった。本州に居た頃、兄に教わって羊肉を買いに行った事がある。なかなか見つからなかったが、ようやく探して兄の家に行くと、何とジンギスカンを初めて食べさせて貰った。感動した。兄は特攻の生き残りの集まりで北海道は札幌の円山にある庭園での石焼ジンギスカンを食べたらしく、僕に教えてくれた。その頃はまさか僕が北海道に移住など思いもしなかったが、今こうして北海道で何時でもジンギスカンや豚肉を頻繁に食べれる環境に居るのも不思議だ。お蔭で今ではポークも大好きになった。「処変われば品変わる」。「住めば都」。
情けない不良少年
豚肉で思い出した。高校生の時、独りで列車に乗って東京に遊びに行くのが僕の夏休みの決めごとだった。二人の姉の家々に、居候しながら新宿や後楽園で遊び、見分(?)を広げた。ある日、一番下の姉に銀座のレストランに連れていかれた時の事、目の前に「豚足」が出て来た。田舎者の僕は、すぐさま、生きている豚を連想して一瞬息を呑み、手を付けられず、具合が悪くなった。姉は旨そうに口に運んでいたが、当時の僕には残酷に見えたものだ。今なら食べる事が出来るかも知れないが「トラウマ」は、未だ消えて居ない。