サロンについて
2本目のブログを載せます、短いので。
『太古につながる生活者の目』のデザインは、いまはヨ-ロッパのカフェに集まる人たちが、飲みながらまたは食べながら、お喋りを楽しむ時間・空間を表現している。(筆者の住む町が雨の日はカフェも雨になり、赤い傘をさす少女が左下に登場する)昔はお金持ちのマダムが自宅のサロンを開放して、音楽家や小説家・哲学者・詩人ときに革命家や画家を招き入れて、紅茶や手製のお菓子を供して『サロン』をつくっていった。そこで大事なのは会話力やユーモアや口げんかの作法であったり、ときに政治への皮肉であったりする。ウィキペディアによると、サロンのハシリは・・・
『17世紀初めのランブイエ侯爵夫人カトリーヌ・ド・ヴィヴォンヌのサロンがはしりといわれる。ローマ駐在の外交官の娘として生まれ、イタリアの洗練された宮廷に親しんだ後、フランスに帰国した夫人にとって、アンリ4世の宮廷は非常に粗野なものと感じられた。そこで自宅に教養ある人々を招き、私的な集まりを開いた。そこでは、文学者が自作を朗読したり、文学論、演劇論が交わされるなどした。これを真似たサロンも開かれるようになり、モリエールの喜劇「滑稽な才女たち」Les Précieuses ridicules ではサロンでの気取った会話が痛烈に皮肉られた。その後も、フランスではヴェルサイユ宮殿などで、女主人を中心にした文学サロンが開かれた。ラ・ファイエット夫人やポンパドゥール夫人らのサロンなどが史上有名。ヴォルテール、ルソーら啓蒙主義の思想家たちもサロンに出入していた。女主人を囲む文学サロンの伝統は20世紀初め頃まで続き、その様子はプルーストの代表作「失われた時を求めて」にも描写されている。』
似た志向を持った人たちの発表の場を持って、洗練された(こういう体験が筆者は皆無)会話でお互い高め合うことができるんだ。日々の暮らしにアップアップではとうていこの世界に近づけない。そういう人たちから見たら、サロンは暇人の集団にしか見えない。私の通った大学の教授はの部屋にはドイツ語のカント全集が並べられて、そういう匂いはあったけど、研究室は囲碁の世界であった。学生運動の余燼残る。
日本中のあちこちに、主催者がいて、ゆったりした椅子とテーブル、1杯のコーヒーさえあれば何時間でも語りあえて、激せず話せる時間や空間はむしろ私は30代、40代に持っていた。極上のコーヒーを飲みながら。無責任な発言を繰り返せる自由さ、解放感は相手も同じように感じていたことだろう。夜のスナックをサロンとして使ってる人も企業経営者に多い。正真正銘のマダムがいる。しかしお金が続かない。
そのために、居酒屋やレストラン、ホテルの喫茶室もサロンに成り得るけど、一番のカギは私でありあなたの関心範囲と見識に尽きる。日本でも茶室や連句を作る場や、戦後は床屋や銭湯、居酒屋も似たような機能は果たしている。床屋の『ヘアサロン』でも深い話はずいぶんするから、ここもサロンだ。野菜や豆腐を買いに行った母も市場の立ち話から1時間も帰ってこない、当時のサロン的役割だ。何も西欧の専売特許ではない。疑似家族みたいな機能を持ってる。そうならヤクザ世界もそうかと言われたら答えようがない。女性同士はサロンつくりが上手だ。会社の中でも世間話でいっときその空間はサロンになる。問題はわれわれ男たちだ。
チャックマン
私の家は集会所だ。しかしその実態は良く知らない。それは私は参加していないからだ。何度も引っ越しをしたが、どこでも同じように集会所となっている。何をそんなに話す事があるのか?口の重い私には今もわからない。
酒蔵の隣で育ったゲコ
時間さえあれば、自宅から出て、気軽にお喋りしたいと言う欲望を誰もが持っている。お喋りでなくてもいいのだが、とにかく意気の合う者同士たわいもない冗談を交わすのも良し。ある知人の女性はお酒が付き物で、友人が同人誌に掲載したからとか何とか、畑で野菜が採れたからとか、理由はいろいろだが、しょっちゅうどこかにサロンを見つけている。僕はゲコなので例え同席しても水以外飲まないのでこんな場には水を差すようだ。お酒も佳境になれば絡まれるから辛い。まるで飲まないことが罪悪のように突っ込んできたり、嫌な事を強要したりするから苦手だ。それにあまりにも終わりのない議論が延々続けば眠くなる。とにかくバカな事だけ言っていればいいのだが、時折真顔で変身したり、まるでカメレオンか七面鳥のようで始末が悪い。でも、最初から最後まで楽しい場なら大歓迎だが。