孔子について(井上靖と白川静)
儒教はずっと苦手であった。説教や辛気臭さが嫌だったのだ。「明日に道を聞かば夕べに死すとも可なり」とか、「道徳が世間の秩序を貫通すれば、一人でも多くの人が救われて、不幸が減る」という主題はいいのだが。大きな川を挟んだ中国の中原地域で、孔子は子弟を中心に教団を作り、「魯」という国の外交官として活躍、小さな国(小さな国ほど外交が最重要課題になる)ながら、大国と渡り歩いて一定の成果を出した外交官でもあったが、魯国内の派閥抗争で流浪の身になる。彼の生きた時代背景を考えるととんでもない時代に放浪していたものである。
私はブログで何度も「老子」を取り上げていて、なぜ孔子を取り上げないのかという疑問を持った人も多いと思う。ある人は「老子」は「科挙という中国官僚になる最難関の道」に落ちた人の慰め教団だと皮肉を言う人もいる。いわゆる世捨て人人生だ。半分、当たってるところもあるかなと思う。
孔子の思想は、とにかく現実政治にたくさんコミットして、平和な世の中を作ろうと言う思想に貫徹されている。誤解されやすいが、この辺が毛沢東政権の時代に「非林非孔」運動で「文化大革命」を推進するのに邪魔な思想になったのでもある。なぜなら、既存(既得権)を持った人間にとって有利な思想に変形できるからである。
偶然、井上靖さんの満80歳~82歳に書いた「孔子」、漢字の起源に「呪術」があると亀甲文字や金文を読み解いた大学者白川静さん「孔子伝」を併読していたので、作家と学者の立ち位置は違うにせよ「孔子」その人、生き方、乱世での身の処し方が書かれてある。孔子の来歴もお母さんは巫女で私生児ではなかったかと白川さんは推理している。理想とする「周の時代の周公」に近づくための運動と努力が孔子の生涯であって、世界でも「人類の教師」とまで言われている。
現代で言うとダライ・ラマやウルグアイの元大統領の理念に近いかもしれない。春秋時代だから、毎日にように戦が大河を挟んである。当時の商人・お店で売られている商品のリストが見つかり、井上靖さんの言では(京都での講演会のテープから)義足がとても多いと述べられている。紀元前から義足は必需品だったのである。整形外科が第一次世界大戦を機に、猛発達したように、戦(戦争は)医学を進展させる。マスタードガスという猛毒が(抗がん剤の起源であったり)たった2000年くらいの、人類史の中で、相も変わらず「不幸な人の犠牲で学問や新発見が続いているのか」と溜息が出る。
正直、筆者は「論語」を全部読んでいない、素読もしていない。江戸時代の寺子屋の小学生以下かもしれない。声に出して読むのが一番身に染みるのだろうけれど、その域には残念ながら達していない。ただ、どちらの本を読んでも感心するのはひとりの人「孔子」を中心に個性的な性格(顔回、子貢、子路)が配されていて、世を去る年齢は違えども、最後まで「師」の放浪に付き添い、彼の言葉を記憶・残したことである。
放浪の道すがら、餓死の恐怖にも見舞われて、乱世を73歳まで生き延びたものである。世界中の政治家の横にこうした「孔子的な人物を洋の東西問わず配されているともう少しましな世の中になるかもしれない」とも思う。この紀元前6世紀は、人類にとって不思議な世紀でギリシャ哲学が生まれ、仏教のお釈迦様も生まれ、孔子も活躍。ドイツの哲学者カールヤスパースは人類の基軸時代と命名したのもうなづける。
昔、昔の少年
『老子』の思想は神秘主義から処世訓まで多岐にわたり、その原理は万物の根本である「道(タオ)」によって表されると。 「道(タオ)」とは、全ての存在を規定する原理であり、全てを生み出した母なる存在でもあるとも・・・。
「道(タオ)」はあまりに広く、定義や解釈を超えて「無為自然」「自然に任せる」ことが「道(タオ)」に通ずる。とも。
『孔子』は、『老子』が唱えた「道(タオ)」を基にして原始儒教を体系化し、道徳・思想にまとめた「儒教」を諭いた。「儒教」は五常(仁、義、礼、智、信)という徳性を拡充することにより、五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)関係を維持することを教えた。「孔子」が礼について「老子」に教えを乞うと、老子は「古代の賢人は空言のみ残って、骨は朽ちている。君子など時流に乗れなければ、あちこち転々とするだけだ。そなたの驕気と多欲、もったいぶった様子と偏った思考を取り去りなさい」と教えたと言う。もったいぶった態度や、傲慢だったことは孔子の文献にも見られるが、面と向かって批判された孔子は「鳥や獣や魚など、は捕らえる方法があるが、龍だけは、風雲に乗じて天に昇ってしまい捕らえようがない。老子は龍のような人物だ」と弟子に語ったとか。孔子も老子を尊敬していたのでしょうか。当時の国教に近い「儒教」の考えは主君に忠誠を尽くしたのは「仁」の考えが色濃く、法を厳守し、礼法を守ったのも、根本は「儒教」の考え方でしょう。太古の偉人たちの教えが、僅かながら、今も残されていますね。
金八先生
儒学思想の言葉(キーワード)徳とは、品性、本性、人格的能力
徳の旧(正)字は徳で、行にんべん と十と目と一と心です。 行にんべん は(人生を)行く、目は目をヨコにしたもの、 一は直、つまり ”直”。 直(まっすぐ、正直・素直)な心で (人生)を行く と言うことです。
儒学は、権力・武力ではなく、君子 [くんし] の道徳的権威で社会を治めていく 「徳治主義(王道政治)」をとなえ、その骨子は「修己治人 [しゅうこちじん] 」で 倫理と政治を一体に考えるところに特色があります。仁とは、儒学(孔子)の考える理想的人間の徳目の中心です。
「仁」の字は人が二人。肩を並べた二人で対等・平等・人間相互のコミュニケーション(親しみや人を思いやる愛情)をあらわしています。 また、種子の中の芽となる部分で、なくてはならぬ一番大切なものです。
「仁」は、まごころと思いやり(忠恕 [ちゅうじょ] 、加えて孝悌 [こうてい] )を意味します。 人類愛・ヒューマニズム(人間中心主義)の思想で、儒学の「仁」は、キリスト教の「愛」、仏教の「(慈)悲」など本質は みな同じです。
我国の歴代天皇(皇太子)のお名前には、 すべて「仁」がつけられています。
礼とは、仁が実践(外面的)にあらわれたもの。人のふみ行なうべき社会規範。
孔子は、心は 「仁」 にあふれ 行動は 「礼」 にかなった 理想社会を目指したのです。
仁(忠恕 [ちゅうじょ] )を重視する立場は曽子 [そうし] ヨコ線 孟子 [もうし] に受け継がれ、 礼を重視する立場は 子游 [しゆう] 荀子 [じゅんし] に受け継がれ、やがて礼は「法」に移ってゆき 韓非子 [かんぴし] の法家思想、法治主義となってゆきます。
義とは、正しい判断、正しい道に従うこと。仁を実践するための具体的・社会的使命のことです。
孟子が仁とともに義をあわせてとなえました。 孟子は孔子より100年程後の人で、当時の社会は すざまじい弱肉強食の「戦国時代」に入っていましたので 仁だけでは不充分だったのでしょう。
義は、正しい判断、正しい道に従うこと、仁を実践するための 具体的・社会的使命のことで 現代社会では 「公 [おおやけ]」、「公正」、「公共性」でしょうか。中とは、中の学、中庸、中道、中徳など。
陰陽思想と共に 儒学(易学)思想・哲学の根本です。 儒学のみならず、仏教、道教(老荘)等の思想は、みな中論で、中は ”ホド”よく過不足のないこと。 中は生み出す(神道 [しんとう] では産霊 [むすび] )です。 例えば、男女で子供を生み出すように、両方の矛盾(異質)を統一して 一段高い段階へと進化することです。 西洋の弁証法(正 一反一合、ヘーゲル哲学)も同じです。我国は、聖徳太子(憲法十七条 603)以来、この中と和(わ、やわらぎ、和合)の精神 =「中和」をもって調和することを大切にしてきました。