お客様に自分から電話をかけるな(ススキノのママ)
昨日の延長のような話だ。
長い間、名門として知られるススキノのスナックママの発言。知り合いがこの店の常連で、私が「最近、いつもの店に行ってるの?」と聞いたら、「いいや、最近行ってないんだ」「でも、来てちょうだいと電話が来ないの?」と私。
「あそこのママは変わっていて、決して自分から、また従業員へお客に電話をかけさせない方針なんだ」と返答。「電話を掛ければ、そのときは来る客もいるだろうけど、それは今日は店はお暇でガラガラだとお客へ伝えることにもなるし、そういう電話で義理で無理して来店して、大事なお金を不本意に使わせるのは、長い付き合いを考えると、いい結果を生まないと経験的に知っているから」だと。
景気の良くないスナック業界で、電話での客引きをさせないお店は希少価値があるかもしれない。数は少なくなったが、バンケッターのいるパーティでも終わればクラブへ同伴させるアルバイターも多い。電話で甘い声で「会いたいわ、来てくれるとうれしいわ。私の誕生日も近いし・・・」などと筆者に電話でも来れば、ホイホイ1時間でも現役サラリーマン時代ならススキノへ出掛けたかもしれないが、あいにく下戸だから良かった。
私は飛び込み営業をずいぶんしたので、一度行ったクライアント、一度仕事をしたことのあるスポンサーへ電話をしてプレゼンテーションへ行くのは常識中の常識と思っていたから、ススキノのママの悠長な経営の構えは相当にいい客層を持っていると思う。その点を突くと彼は「自分は別として、道内企業の経営者や有名スポーツマンなど顧客として抱えている」と。しかし、ここに至るまでのママの努力は誰でも真似ができるものではない。
私が「お店が開店してから、きょうまで40年間、いくらくらい使ったのかな?」と聞くと「家一軒分は使ったよ」。独身で会社の社長さんなので使えたお金でもある。お客の方から「あの店に行きたい」「あの人でないと仕事を頼みたくない」「あそこの雰囲気や味を大事な友人や恋人に味わって欲しい」。店や企業の繁栄、仕事の継続は、結局、ススキノノママの「お客様へ電話を掛けなくても、また来たくなる人間になる勉強や店の雰囲気づくりに傾注する」大事さだ。
宣伝で一度は猛烈に来客があって、長蛇の列ができるが、その後、お店が閉店というケースも多い。「あの人に相談すると知恵を貸してくれるかもしれない」。ススキノのママの科白をビジネスに応用すると、そういうことになるかもしれない。筆者は相手が退屈でお暇なときに「お喋り相手として」いまだ賞味期限があるらしい。ありがたいことである。世の中に流行を背にしたようなロングセラー商品がある。太田胃酸、大塚ボンカレー、味の素、正露丸など。ススキノの狭い世界の話ではあるがロングセラー狙いの経営戦略は何でも目先の数字ばかり追う気忙しい時代に教えてくれることが多いと思う。
十八番。
ススキノのスナックには必ず常連さんがいてカウンターの片隅に黙って座っている。来店客を観察するのが酒の肴のように。カラオケはいつも決まった歌手の十八番歌を一曲しか歌わない。突然、一見客が入ると、そんな常連さんを無視して、好き放題に大騒ぎして去っていく。常連さんは、気に入ればいつまでも座っているが、気に障れば消える。僕はめったに行かないスナックのそんな常連さんを観察するのが好きだ。
お泊り組。
生真面目で中高年の独身の友人の一人は、郊外の我が家よりもススキノに近いスナックのママの家に泊まる事の方が多い。今や飲酒で運転代行やタクシーをと言っても郊外までは高額になるし、間違ってクルマの運転でもしようものなら危険極まりない。だから泊まる事には賛成だが、一体どんな関係か知りたいようで、知りたくないような。それほど家族同然の存在のようだ。やり過ぎの感も無きにしもあらずだが、ここまで常連を囲い込むスナックもある。
一見さん。
昔々、長女が銀座のママをやっていた。若い実業家だの経営者だのいろんな付き合いがあって、浮いた話もずいぶん聞かされ、子供ながらに大人たちの複雑な世界を不思議に思ったものだ。銀座のクラブに出入りすると言う事は、経済的に余裕がある者たちに限られているので、独身の姉は選りどり見取りのはずが、結局はぶらっと来店した同郷の一見さんの大学生と所帯を持って田舎に戻った。華やかに見えるクラブやスナックも、寂しい人達が出会いを求めるオアシスなのだろう。