お店側からお客さまに家族の話を聞いてはいけない(社訓)
老舗の趣味のお店で、筆者と同じ歳の3代目の社長さんとお喋りしていて、出てきた言葉だ。1代目の社長さんがご主人を早くに亡くされたこともあり、お客さんから「ご主人はお元気ですか?」と聞かれることが「嫌だった」。
翻って、お客さんにも自分と同じような気分になって、不愉快な思いをする女性が多いのではと推理して、創業時から「お店の社訓になってます」と3代目は教えてくれた。趣味のお店は90%以上、女性や主婦であるから、相手に不快な印象を持たれては「商売に大きな悪影響を与える」実利被害もあるけど、現代、「相手のプライバシーを勝手に聞いてはいけない」時代になっていて、1代目の創業者が80年以上前に、商いの基本を身を持って伝えてきたことに筆者は感動した。
特に、「いま自分が幸せであればあるほど、ついつい、ご主人は元気?お子さんは結婚したの?お孫さんはいらっしゃるの?」と軽く、悪気なく聞いてしまい、一瞬、相手の顔が「不快な表情になったり、作り笑いでごまかされた」ことを経験している人は多いはず。
筆者は、札幌の長屋街でプラバシーもないがらっぱち育ちなので、「品格」より「貧格」、「個人」より「がやがや集団」、漁法にたとえれば「1本釣りで釣る漁」ではなく「底引き網で何でもそのとき金さえなればOK」みたいな人生観の下町であったから、「お店側からお客様に家族の話を聞いてはいけない」という社訓を聞いて、歴史の短い札幌の街ではあるが、誇り高い、しかし、よくよく考えたら、個人個人のありように土足で入りこんではいけないよと言う品格ある生き方を続けてきたお店があったことをうれしく思った。親しき仲ほど必要な礼儀である。
物づくり教室もあるから、それに集中するために「それと関係ないお喋りも嫌っていた」とも社長は教えてくれた。そういうことは「店の外でやってほしい」と。私の住む団地でも「お子さんがいないご夫婦」「東京から子供を連れて戻ってきた娘さん」「引きこもりの子供を何年も抱えた夫婦」「2番目の奥さんと暮らす人」「事業に失敗して自死したご主人を持つ奥さん」「遺伝的な病気を抱えた子供を育て続けるご夫婦」「子供は結婚はしたけど孫が授からず不妊治療をしている若夫婦」など、プラバシーに関しては枚挙にいとまがない。
そしてまた、何度も繰り返すけど、「生きてるだけで、皆々、大事業を営んでいるんだ」とつくづく思った次第だ。ひとりひとりの背中に大きな荷物を背負ってとことこ歩いていくのが人生のような気がする。荷物が子供であったり、孫であったり、借金であったり、経営者なら社員を雇うための稼ぎであったり。しかし、一番の荷物は自分自身の意識かもしれない、人生で蓄積され・洗脳された思い込みかもしれない。一番のお荷物は自分の意識、それがきょうのブログの結論。お客様へ家族の話を聞いてはいけない・・・それも創業者の深い意識の中にあったことで時間とともに家訓に変貌した。
火曜と木曜しか喋らない男。(寡黙な男)
先日も、超多忙な最中に友人から電話でお昼過ぎに会社に現れると言う。また、どうせ自慢話に来るのだろうと思った通り、現れるや否や、奥さんの定年を間近に控え貯めた小遣いで二人でハワイ旅行に行くとか、自分は或る会社の顧問の肩書を貰っているが、8月で辞めて遊ぶのだと。娘は近くに住んでいて孫がしょっちゅう遊びに来るだの、息子は東京で有名企業に勤めているだのと、前にも聞いた話ばかり聞かされる。そこまでは「ふん、ふん」と聞いては居るが、今度は我が家の家族の事を根掘り葉掘り聞いてくる。自慢話など、これっぽっちも無い我が家だが、聞かれれば嘘をつく訳にもいかず、つい喋らされてしまう。終いには自分は暇だから、我が家の「山の神」に会いに行きたいと言い出す。やめて欲しい。我が家には貯金や自慢話は全く無いが、僕や家族の悪口なら山ほどある。我が家で僕の居ない欠席裁判よろしく、暇な彼に3時間も粘られて「山の神」の口からは「ダメ亭主」の愚痴と「息子や娘の不幸話」、鬼嫁に捨てられた哀れな4人の「孫」たちの話くらいしか出て来ないだろうが、彼にとっては何よりのご馳走になる事間違いなし。今度はリアルな我が家の「不幸話」をネタに別の場所で3時間粘るのだろう。自慢じゃあ無いが、我が家の「不幸話」は、それほどボリュームがあるからだ。彼の通った後に、僕が通れば間違いなく世間から後ろ指を指されそうだ。「男は黙って?オレンジジュース」。
千人に一人の仙人。
自分の不幸な姿や部分はさて置き「他人の不幸は密の味」とばかりに、あちこちで探り、振れ回る人。伝書バトくらいならまだ可愛いが、まるで選挙カーの拡声器よろしく、尾ひれを付けて、話は現実よりも大袈裟に増幅されるから恐ろしい。それに耳を傾ける方も否定しないで興味深々と聞き上手だから余計被害は拡大する。マスクもしないインフルエンザ患者みたいに迷惑な話だ。どうせ、そんなお喋りをするなら、「不幸話」は封印して「幸せな話」か「褒めたたえる話」でもしてあげた方が、暴露される側も、聞く側もみんなハッピーになれる。人と会う時は「粗」を探すのではなく「良いところ」を見つける事をお勧めする。どんな他人に嫌われている人でも一つや二つくらいは感心できる「良いところ」はあるはずだから。結果、自分も誰からも好かれるようになるはずだから。
サッポロ市営ビール。
「口は災いの元」、口を滑らせると言うが、口が勝手に滑る訳が無く、そもそも自分自身が日ごろ考えて居るから口に出るに決まっている。口は水道の蛇口のようなもの、出る水の浄水場や水源地は別のところにある。浄水場で綺麗になった水は飲んでも害はないが、浄水場が無ければ百害あって一利無しだ。蛇口をいつひねっても無害の水が出るようにしたいものだ。いやぁ、それとも、今の季節、蛇口をひねると冷え冷えのビールが出た方がいいと?
誰も知らない本当の自分。
裏表のない人などと理想的な人を誉めるが、プライバシーはどこかに持っていたい。自分を取り巻く環境の変化で、自分もどんどん流されながら変化に順応して行く。自分の思惑とは裏腹に、家族や他人の為にだけ生きていて、次第に本来の自分を押し殺して生きている事に気づくが、元には戻れない。どこかで、ほんの少しでもシークレットな部分で自分を持っていなければ空しくなる。