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『洛中』と『洛外』についての洛中人の差別感情の被害に遭ってる嵯峨生まれの著者お話だけど、なんか違和感の残る本だった。男の喋る京都弁の文体に接したからかもしれない。尊敬していた梅棹忠夫さんが洛中の人で、やはり『洛外』の人間に少し見下す感情を持っているところは世界の民俗学の研究者として、やっぱりね・・と発見はあったけど。


そこまでして著者自身の精神衛生上、京都に住む必要があるのかなあと思った。気位高い男女はもともと家庭環境の中に、親から祖父母たちから、親族から伝わったプライドや偏見の塊みたいなものに覆われている。それが消えると弱いから、そういう空間から出れない、自分の育ちをきっちり認識してくれる人がいないと自分を保てない人が多い。芸能人にも多いタイプだ。したがって閉鎖的な人間集団を形成しがちで、自分を守るために郊外の人間を軽侮する。


『洛中』に限らず、その差別感情はどこでもあると思うし、別に在京のマスコミが『京都特集をして持ち上げ過ぎ』気味はあるが、ここのところは、日本社会のあらゆる都市にも大なり小なりあることで、札幌っ子という歴史がたかが100年を超すくらいの都市でも街の育ちの人にしてみれば『札幌の外からやってきた田舎者ばかりが、はびこっている』という認識もやはり私にでさえある。グルメ情報がやたら詳し過ぎたりするのも田舎者の特徴だ。


しかし、京都はその成立において、地方の人間たちが寄せ集まった田舎者の集団から始まってるので(京都の染物屋に生まれた松岡正剛さんの本にも書かれてある)、なぜ著者は差別する洛中の人間に肘鉄を食らわせられないのか疑問に思ったものである。それよりも京都は部落や在日への差別が激しい地域で、著者のようにのんびり文化財や寺の拝観料や僧籍者の祇園遊びのレベルの話ではなくて、京都の抱える大問題があるはずだ。自民党元幹事長にして元京都府綾部町長・野中広務と辛淑玉の対談『差別と日本人』とか、差別された被害者としてもう少し遠くまで、その視野を伸ばせるはず。


『赤い鳥』の『竹田の子守唄』は京都市伏見区で採取した子守唄だ。『寺の坊さん、根性が悪い。守り子いなして門閉める。どうしたこーりゃ、きこえたーか』と部落の子供がお守りをして雨が降ってきても、雨宿りをさせてくれない、それどころか門を閉める寺の坊さんが唄われている。寺の多い京都で仏教を学ぶ僧でさえ部落民を扱う態度。これからみれば著者の『洛外』だから云々の被害者意識は底が浅いと思う。この歌は一時放送禁止曲に指定されて1990年に解禁されたいわくつきの歌。


部落出の野中広務が大阪で旧国鉄に勤務していた時、信頼していた同僚が蔭で『あいつは部落だから』と聞いたとき、絶望感と悔しさに号泣して、政治家への道を志した話に比べれば軽すぎる。そう思った本である。

筆者は19歳で京都の私大に合格して錦市場横の下宿を敷金払って確保したが、通学する縁はなかった。もし、京都に住んでいたらどういう人生が待っていたのか想像もつかない。やはりドロップアウトして京阪の中小広告代理店で営業していたかもしれない。とにかく差別で苦しんだら、とりあえず沖縄か北海道へ行くのがベストと思いましょう。行って住めばわかります。文化度は低いかもしれないが。生き続けるには逃げる場所を確保しておくのが賢明です。

 

  1. 前々職の本社は京都で、時々、道楽会長が札幌の店視察とクライアント訪問にやって来る。京都の中でも洛中と呼ばれるエリアに育ち、そこに住み続ける会長が来札するたびに、札幌の社員と会食をする。場所探しは僕の役目だった。彼は京都を溺愛し、地方都市を軽蔑していた証拠に言葉の端々にトゲがあった。北海道でも高級な部類の飲食店で喜ぶどころか「この盛り付けはハンナリしとらんなぁ~」と愚痴を連発する。会社の最高の権力者の彼に逆らう訳にも行かず相槌を打つしかない。デザートの和菓子など出れば「北海道の和菓子は駄菓子やなぁ~」と酷評する。僕も生粋のドサンコではないが、この地に永住している者として腹立たしい思いをした。彼らには芸子遊びや、地方から集めた食材で作る料理も自分たちだけの固有のものと考えているようだ。地方のお蔭で成り立っている京都の食文化に気づかない言動は「何様?」かは知らないが僕は、今でも許せない。

  2. 京都人は「嘘つき」だ。大阪の下宿先に、夏休みになると下宿のお婆ちゃんの娘の家族が子供を連れで京都から泊まりに来る。京都人のあの馬鹿丁寧な言葉を信じてはいけない。「お兄ちゃん、今度一ぺん京都にも遊びにおいで」とやんわり。実は「来るな」と言う真逆の反意語なのだ。「つまらない物ですが・・・」と言えば、「お~きに~」と言う言葉の裏に「このケチが!もっとマシな物くれんかい!」の心が隠されている。京都に絵を描きに何度も足を運んだが、未だに京都には友達はいない。

  3. 近い親戚より近所の他人。

    京都を好き!などと言うのは、外国人か、京都を知らない者くらいだろう。外から見る京都と傍で見る京都は大きく異なる。遠い親戚の伯父さん夫婦も二条城の近くに屋敷を持っていた。仕事の関係で責任者として札幌に住んで暫くして京都に戻った。その空き家になる札幌の家を、当時アパート住まいだった僕たち夫婦に買わないかと持ち掛けられた。安くしてくれると思っていたが、期待は裏切られた。手入れもせず老朽化した中古住宅は、購入後のメンテナンスに相当費用が掛かってしまったからだ。当時は金利もどんどん上がり、諦めてとうとう手放す事になった。その後、新しい建売を購入し、またローン地獄が始まったが、新しい住まいは精神的苦痛もなく、最初からそうすべきだったと。京都人は親戚だろうが、身近な関係だろうが、意外に冷酷だと知った。それ以来、伯父さんたちの京都の家には一度も行った事はないし付き合いもなくなった。

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