「愚か者ほど出世する」その3 人類はもうろくしつつある
哲学者「脳の体積が減ったのは、むしろ得なこと。なぜなら質の方が向上したのですから。ゴリラやチンパンジーの脳の体積より、彼らと隔てる要素は文化なのです。人間が人間であるのは知性に恵まれているからです」 最大の脳の容量を持ったネアンデルタール人が、その後の人類では、体積増加が止まり、減少へ向かう。知性の指標が頭蓋の体積にも負ってもいるとすれば、種族本能の知恵は、人間の知能を低下させることによって滅亡を救い、進化の道へ知性削減のバルブ(?筆者)を置いたといえないか。そのバルブは、女性の骨盤のトンネルだ。頭が大きすぎると死産や母親の生命さえ奪う。 人間の大脳の体積は何万年も1350グラムあたりにとどまっている。このバルブのおかげで、ネアンデルタール人のように脳の容量が巨大化しなかった。ブレーキをかけたのだ。新生児の脳は大人の四分の一で、出産を楽にして、種の存続可能性を増し、母体を守った。生きのびるために、存続するために。しかし、脳の最大量は増やせない。 平均寿命が延びて裕福な国々で脳細胞が壊されて、老人性痴呆に向かっている。平均寿命が20年から30年の時代があって、少し長生きするとそれだけで、古老として敬意を払われていた時代があったが、いまや平均寿命が80歳を超えて、そういう国は出生率も低下して、人口の割合が偏っている。そんなわけで、進化のよき「選択」として切望されているかに見える長寿は、知性を低下させる凶器、能力削減のバルブ(?筆者)だったのだ。 脳細胞を破壊するアルツハイマーのことだ。多くの人々を幼児化させる、記憶・言語能力・抽象思考を管理する部位のニューロンを狙い撃ち、ほかの動物から区別させる活動を停止させてしまう。長生きすると脳が減る事態なのだ。85歳を超えた老人の47%がアルツだ。1970年代にイタリアで開かれた老人学会ですでに「明日の社会は痴呆に脅かされる危険性が高い」と警告されていた。 数多くの優秀な老人たちが、その頭や寛大な心で人類に栄光をもたらしてきたが、ある年齢を超えると痴呆になりやすい。「人は老化しつつある」「もうろくしつつある」。結局、現代人はバカになるために生きていると。 (私の感想は、またまたウーンです。著者がここで使うバカの意味は老人性痴呆や幼稚化した老人を言うのですが・・。短命な時代にはなかった長命になったがゆえの悩みは、なんとか超えていかないと私は思う。だっていずれ私を含めていなくなりますから。何をするために長生きするのかを早めに認識したいですね。私はいったい何なのか、よくわからない。流されて流されて生きている・・・この章はわかりにくい。)
昔の少年
気丈で活動的な母が80歳を超えたところで入院した。大腸がんだったが、入院して間もなく福井の病院へお見舞いに行った。そこで僕は衝撃を受けた。僕を見て、母「どちら様ですか?」。僕「何を言ってるの?あんたの息子だよ!」。母「あぁ~息子を忘れちゃあ~お終いだね」と笑った。僕「ちょっとトイレに行ってくるね」。母「あぁ~」。病室に戻ると、母「どちらから?いらっしゃったんですか?」。僕「北海道から来たんだよ!」。母「私もね北海道には二度ばかり行きました。一度目は汽車で、二度目は飛行機でね」。こんな母を見て家を出て久しい自分の親不孝を後悔したが、父の思考は確りしていて献身的に毎日のように列車に乗り、見舞いに行ってくれていたので救われた。二人とも認知症になっていたらと考えるとゾッとする。この実例のように確りしたチャキチャキの江戸っ子の母が先に認知症になったのは病院に入って間もなくだった。つまり行動が急に束縛されて急激な環境変化があったことに起因している。病院と言う自分が望まない恐怖の世界に放り込まれたかのように、日に日に違う自分に変って行くのだろう。先天性の要因も多少あったのかも知れないが・・・。86歳で他界したが、しかし症状は幼児化ではなかった。父の方が96歳で他界するまでは「早く死にたい」と言いながら老衰以外何ら変らなかった。こんな父も近所から、火事でも出されたら困るから一人暮らしをやめて病院に入るよう要請され、入院した途端に肺炎で亡くなった。不便な暮らしでも自主的に生きていれば脳も活性化されるのだろうが、社会環境変化と共に人間同士で淘汰しているように思う。