「愚か者ほど出世する」は中止いたします。
何人か読まれている読者には申し訳ないのですが、書いていて、だんだん著者の文章に私自身、腹が立ってきて(翻訳者の言葉使いもあるかもしれないが)、あと7章を書く自信がなくなりました。初めから、危険な感じはしていて、私の感想を入れて毒の中和には務めたのですが、5月7日の「人類はもうろくしつつある」で終了して、以前のブログへ戻ります。まずい食事を「美味しいよ」と人に言えませんから。
何人か読まれている読者には申し訳ないのですが、書いていて、だんだん著者の文章に私自身、腹が立ってきて(翻訳者の言葉使いもあるかもしれないが)、あと7章を書く自信がなくなりました。初めから、危険な感じはしていて、私の感想を入れて毒の中和には務めたのですが、5月7日の「人類はもうろくしつつある」で終了して、以前のブログへ戻ります。まずい食事を「美味しいよ」と人に言えませんから。
昔の少年
僕のこれまでの環境は親が東京弁、福井の田舎で育って越前弁、九州の女性に習った九州弁、大阪に住んで大阪弁、京都の仕事仲間に習った京都弁、北海道に住んで北海道弁、今も連れ合いが若狭の関西弁。つまり『バカ』と言う言葉の意味がそれぞれ違うので、気にする人と気にならない人がいるでしょうね。僕は言語ジプシーで、どうにでも解釈できますが『愚か者』も武士言語か、一昔前の歌の題名くらいで今では死語に近いでしょうかね。直訳で気になる言葉は数多くありますね。どんな学問でも先ず仮説を立てて推測し、理由を探して根拠を創る。僕達の企画書みたいなものですね。歴史の事実の言い伝えや記録以外、知られざる世界は、遠い過去も未来も、すべては仮説・推測ですね。それによって引き出された結論も本人さえ絶対とは思っていない半信半疑のはずですからね。とか言う僕は、学問に対する僻みととられているかも知れませんが・・・。言論の自由、人それぞれですね。
seto
迷いましたが、中止に決めました。バカのニュアンス、方言の問題というより、イタリヤ語でほんとうは「おばかさん」くらいかもしれませんが、イタリヤ語
できないしね。愛情のある「バカね」という使い方ではないので、私も日常、ばっかだなあ、くらいしか使わないので、この題名本にぐらりときたのでしょう。
序文で養老孟司さんが「笑いながら読む」という、余裕が私になかったのが敗因ですね。歴史の事実も何年に何があったくらいしか客観性ないですからね。
あとは物語や、仮説・推察の世界です。科学の世界も絶対はないわけですから。絶対があるのはきっと、宗教の世界、つまり判断停止、思考停止して信仰の
世界だけかもしれません。この本は、思想的には逆ダーウィンを書いてます。進化論ではなくて退化論ですね。この部分は実際にあるのですが、人間全部を
このカテゴリーで覆うのはどうでしょうか?言論の自由ではありますが、自分の良識に照らして中止を決めました。