汚物はすべて隣の庭へ。
ドライブしていると、赤信号で止まるや運転手がドアを開けて、痰をペッと道路に吐く人がいる。そういう人の車の中は異常にきれいだったりする。そして他人には『運転手のマナーに関してうるさかったりして』。世の中はこういうチグハグさで覆われている。
梅毒をイギリスではフランス病、フランスではイギリス病と名づける。一般名詞(梅毒)として言葉をなぜ使わないのか?日本では梅毒を唐瘡(とうがさ)。なぜ中国の唐がつけられているのか。東西古今、よからぬことは隣国へなすりつける心理は相当重い病ではある。国内でも明治になって廃藩置県が行われても、対立的な藩なら同じ県になっても悪いことは隣の藩のせいにしたりする習慣は消えない。水利権が大きいというがそれだけではない気がする。
『区別』がいつのまにか『差別』へ転化してるように見える。藩が統合しても歴史上あった軋轢が子々孫々語られなくならない。日本に限らず、他責の癖がDNAとして相当昔から人類に植え付けられているのではと思うばかりだ。その証拠に戦争の口実が100%、他責から始まることを考えてみると根が深いのではと思う。
フィリピンの大統領や、アメリカ共和党候補トランプ、北朝鮮キムジョンウン、サウジアラビアで自ら爆撃機に乗る国王、シリアを瓦礫の山にして国を消失させたアサド、異常な支持率のプーチン、日本の安部首相。似ているのは『他責から始めて』相手を黙らせ、気に食わないと人事権行使か抹殺である。またメディア、特にテレビを自らの広報部として利用させ批判力を封じる。
(ジョークとして読んで欲しいがある人がテレビ作りは北朝鮮のテレビの方が自由だというのだ。なぜなら、作り手がこれは宣伝で嘘なんだよと知りながら作っているが、日本の報道はこれが真実・正義だと思って作っているからタチが悪いと)『悪いことは隣の政党へ』『悪いことは昔の政権のせいにする』など『汚物はすべて隣の庭へ』の違うバリエーションだ。
しかし、汚物の量が隣の庭へ投げられないほど多くなると自分で処理しなければいけない。処理できないと隣どころかそこの国民全員の頭に汚物を投げかけて逃げて行くから残された者たちはたまらない。石原慎太郎も『第三国者発言』や尋常ではない差別感の強い知事であった。議会や都庁で働く役人たちの無責任ぶりも、太平洋戦争に負けて『誰がどういう発言をして、誰が断を下したのか』を調べると明示しにくいのに似ていて、すべて『隣の庭へ汚物を』投げようと画策しているとしか思えない。
この場合の汚物は汚物でなくて都民の税金、都民への責任などだ。とにかく『自分たちの暮らしを支えてくれている都民を全然見ていない』都庁職員と都議会の厚顔無恥に呆るるが、規模は小さいが札幌市にも私の住む町にも、呆れるほど同じ状況はあるはず。相似形だと思う。小学生から見ても恥ずかしい大人たちの領収書騒動も教育上よろしくないので、議員自身・小役人たち、もう一度小学校1年生から始めて欲しい気もするのだ。『嘘をついてはいけません』と教えてほしい。
嘘発表会。
一般企業の中でも嘘は充満しているのでは?。嘘の報告会議、嘘の売り上げ予想、嘘の売り上げ目標など。毎週の会議は嘘の発表会みたいなもので、その場しのぎの場合が多い。嘘もだんだん大胆になると、小兵どころか経営者までが平気で嘘をつく。社内ならまだしも、対外的に体裁をかまって嘘の決算報告などする事態になれば、それはもう、回復困難、修復不可能な事態で、重症だ。
笑えないジョーク?。真実?。
汚物ではないかも知れないが、雪のお話し。かつて有った或る大手地元のハウスメーカーの工場見学会なるものに希望して申し込み参加した。遠い町へ自家用車で出かけると拾い敷地の工場には大型バスが沢山停まっていた。団体であちこちから。函館からも、来ているらしい。僕のように自家用車で来る人は居なかった。ステージ付きの大きな講堂に集められて、パック入り弁当と記念品のボールペンが渡され、社長の講演会が始まった。雄弁な嘘つき社長は、こう言ってのけた。「わが社の住宅は高床式なので1階リビングから隣を見下ろせます。それに屋根も一般住宅より高いので雪は吹き飛んで隣の庭に落ちます。(笑い)」と。ここで笑った受講者もいたが、僕にはとても笑えなかったし、工場見学もそこそこに帰路に就いた。その後、同社の専務と名乗る男から仕事のオファーらしき呼び出しが有ったが、丁重にお断りをした。数年後、そのハウスメーカーは消滅した。