他人と同じ土俵に立たないで、自分の土俵つくり。
賢く健康に生きられる、多少(相当)辛いけれど、他人と同じ土俵に立たないで、生きられたらどれだけ自由さを満喫できるだろうかと密かに思ってる人は多いはず。
筆者も35年間、営業職として数字の世界に振り回されていたものの、次の月が来ればゼロから始まり、リセットされると思って慰めて、本屋へ行き、学生時代から好きだった哲学の書棚を眺めてビジネスから離れる時間を持っていた。やはり気になるビジネス書も立ち読みしたが、現場にも立たないで、自分がなんの責任やリスクを負わないで原稿料稼ぎでよく語るよなあ、あなた方、日常生活を送っているのですか?と突っ込みを入れたくなったものである。
広告業界も業界用語満載、BtoB、BtoC、費用対効果、GRP、最近はGRC。加えて検索順位を上位に持ってくる手法だの、ヤフーでは広告を地域ごとに安く広告枠を入れやすいように改善を加えたとの説明会があったり、宣伝会議に最近ヒットしたテレビCMの製作者がニタニタした顔でインタビュー。マーケット研究と称して、●●研究所の学士さんがレポートでヒット商品を自家宣伝をしている。そんなことはどうでもいいことである。しゃべるだけ時間の無駄である。
それより、「御社で横領はないか」「幹部連中の不正な経費使用はないか」「他社からの悪評はないか」「仕事を外注に出す際にパワハラ的な言動はないか」「正社員と派遣社員と人間関係はスムースにいってるか」「社員でパチンコや競馬のギャンブル、アルコール依存症はいないか」「単身赴任の支社長は社内不倫でスキャンダルになっていないか」「最近、うつ病社員が続出しているが、管理する社員の性格に問題があるのではないか」「タクシーチケットを1ヶ月2冊7万も使って自宅に帰ってるのがいるが誰かストップかけられないのか」「天下り社長が交際費使い放題の世界に溺れていて、社員の仕事へのテンションが下がる。京都の祇園で一晩で300万円使ったという噂は本当か」。むしろこちらの解決が先である、次元が低いけど。
しかし、こういう話も企業という同じ土俵であることに変わりがない。土俵は遊びやスポーツのルールと似ている。時間や順番を競う。私の提唱は、それから外れる生き方だ。散歩であったり、草むしり、星の観察、写真を撮ったり、周りの流行に鈍感でありながらニコニコ生きられる自信である。落ち着きのある大人になってくること請け合いである。
ブリコラージュという言葉がある。フランス語で〈寄せ集めて自分でつくるの意味らしい)。内田樹の本に文化人類学のクロード・レヴィ・ストロースの本に出てきた用語で、ある部族の「まあ、いまは必要ないけれども、とりあえず拾っておきますか」くらいの物(空き缶や木っ端でも)が役立つ日が来る。人間関係にもきっとそういうことがあって、ただ相手を利用して儲けてやろうとしたら、そういう人しか寄ってこない。いつか知恵を貸してくれる日がこないとも限らないくらいの軽い人間関係。
土俵はすでにあるものを使うと(会社や肩書き)無くなると土俵が消え、代わりに、自分の存在も消えるかもしれない。定年後の夢を失って呆けた顔の男が街中を歩かないように、いまから自分だけの土俵はつくっておきたいものである。土俵は一つではなくて。複数がいい。
四角い土俵。
相撲に例えれば?相手の居ない土俵での不戦勝・と言うわけですね。これなら毎場所が全勝優勝と言う事になりますね。ビジネスも同じで,相手のライバルが居ないところで静かに働く事は快適です。それには自分自身のある一定の努力も必要でしょうけど。他人と違うやり方,他社と違うやり方,ほかの人と違う生き方,国の方針と違う生き方,など。そのほうが自分に正直に生きられるのでしょうね。ただし,できない人は大勢いても,できる人は少ないでしょう。僕は,まだそこまで悟りは開けないし,まだビジネスから離れられないですから,せめて,ライバルの考えない四角い土俵でも考えますか。
千人に一人の仙人になりたい。
人間は自己主張する動物ですから,空気のような存在には,なかなかなれませんね。俗世と縁を切って人里離れたところで暮らせば,相手は自然ですから,自分も,逆らうことが不可能な自然に気に入られるように生きるしかなくなるでしょう。人間がかなわないのは自然であり,生かされているのも自然ですから,上手に付き合えば生きていけるはずです。ただし,自分が所有する土地でもあればの話ですが?今ではそんな場所も少ないんじゃあないでしょうか。ストレスがあっても,今の場所のほうが居心地がいいと思う人のほうが多いんじゃあないでしょうかね?
大きい土俵。
十勝の帯広は空も広いですね。今朝は,青空でさらに大きく見えます。札幌のようにバカ高い高層マンションなどありませんからね。これが本来の街の姿なんでしょうね。ビルは駅周辺のみに集中していて,あとは商業施設や店舗が住宅地に点在していて,少し離れれば河川や農場です。その広さはみごとです。これ以上住宅やビルが農地を潰さないでほしいですね。これぞ北海道です。土俵自体が大きいですから,こんな土俵(街)に住めれば,人の心にもゆとりができて,寛大になれるのではないでしょうか?
seto
心を遊ばせないと、息が詰まる社会になっていて、どこかに風穴を開けないと・・と
思ってます。それが「土俵」の変更ですかね。寛大になれる土俵というのは自由度高い。
いまは細かいところまで、チェックばかりで、そのために創造的な仕事ができにくいビジ
ネス環境かもしれない。新しいことをしようとする人間に「どうぞどうぞ」と言える企業
が少しでも多く出てきますように。