名作を漫画で読める時代。哲学書もある。ローマのマルクスアウレリウスやJ・ジョイス「ユリスーズ」やプルーストの大作「失われたときを求めて」まである。日本の古典なら漫画シリーズで読んだし、手塚治さんの「聖書」も読んだ。


「カラマーゾフの兄弟」は全5冊の1冊目を20ページで止まっている、ギボン「ローマ帝国衰亡史」も1冊目の中野好夫訳を読んだところまで。ラブレーの「ガルカンチュアとパンタグリュエル物語」も5冊中、1巻目の20ページで止まって30年が経過。そして「いつか読まないと」と思いながら20年や30年が経過した。書棚に今も鎮座している。


「読書は体力や気力」のあるときが勝負だとつくづく思う。しかも若いときのほうが瑞々しい感性が残っている。朝まで徹夜で読んだ「罪と罰」の主人公ラスコリーニコフや聖女ソーニャやスタンダール「赤と黒」のジュリアンソルレはいまでも読み終えたときの充実感がどこかに残っている。「思い立ったら吉日」は本についてもいえる。特に目と根気が加齢とともに萎れる。私はだいたい10冊の本を平行読書するから、その日の気分で読む本がどんどん変わっていく。人間関係作りも考えてみると似たようなもので数は多いが浅い。適度な距離を保ちつつ生きている気もする。そういう意味から、漫画で古典を読むシリーズは、読むのが出遅れている筆者にとって絶好の本たちだ。予告編を何本も見続けるようなもの。気に入れば本編を借りてくればいい。


読むだけでも大変な本を漫画でシンプルに表現したものだと感心する。誰が監修をしたのか、興味はそちらへ向う。イーストプレスという出版社には相当な気骨のある人がいるみたいで頼もしい。きっと反骨精神横溢の人だろうと思う。しかも、イーストプレスは素人に「漫画投稿を呼びかけて」いる。売れれば自分の印税もたっぷり入るような仕掛けだ。難易度の高い本も多いが、新しい試みだ。「コーラン」もあれば「マルクス」も日本の文芸書もあって約200点を超す勢い。電子図書でも読める。


噴き出しの「日本語」を「中国語」や「ハングル」「英語」「タイ語」に翻案すれば世界で売れるかもしれない。日本語の本が外国で翻訳されているのは、非常に少ない。古くはウェリーの「源氏物語」や岡倉天心「茶の本」、新渡戸稲造「武士道」安部公房の戯曲もフランスを中心に人気がある。近年はもちろん村上春樹で各国語へ、内田樹さんの本も韓国で人気がある。文化の輸入超大国が続いているから、ここらで漫画で小説や日本の思想を各国語で次々出すのも面白い試みと思う。初音ミクに追いつかないと。3月2日に筆者は空港内の映画館の帰りに寄ってみた。

新千歳空港 SNOWMIKU

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