譲ること、引くことで他者を生かす。(2015年5月30日)
政界や都議会のドンやら、一度付けた金バッジで偉ぶる議員の群れ、政府専用機(新千歳空港に格納する2機がゆっくり休めないほど)を使い過ぎるこの国のトップの金銭感覚の鈍感さを見るにつけ思い出す話である。以下の話はたぶん、究極の倫理的な生き方を示しているだろうとは思うが、毎日の暮らしの中での積み重ねがないと咄嗟にはできない行為であろうと思う。
タイタニックと洞爺丸。譲る、引く。
映画「タイタニック」でディカプリオ君が、自分の浮き輪を愛する彼女へ渡して沈んでいくシーンを見てたくさんの人が泣いた。1912年4月14日の事件だ。
実は同じことが、青函連絡船洞爺丸(1954年9月26日)沈没事故にもあった。台風の目に入り、一瞬、静かな天気になり台風は去ったと思い出航した船へ突然の大嵐が襲い、死者・行方不明1155人の大惨事だった。そのとき乗船していた3人の外国人の宣教師のうち誰かが自分の浮き輪を見知らぬ人へ渡して沈んでいったという。(文春文庫。上前淳一郎・洞爺丸はなぜ沈んだか)。筆者3歳のときの台風で、激しい雨風だったくらいの記憶だ。
自分の生死を左右する浮き輪を差し出す行為を、自分が果たしてできるかどうか怪しいなあと感じながら、実はほとんどが我先に生きのびる選択をするだろうなとも感じて、しかし、それを誰も責められないなとも感じて、複雑な心境になる。
宣教師だから、できた行為だとも思えなくて、十分、普通の人々も宗教に関係なくする人はするだろうと推測する。人生において究極の選択を迫られるのは、一番は結婚かもしれない。しかし、これは生死を分かつという意味でもなくて、比べる事案はないなあと思う。しかも瞬間的に反応するのだから、凄いことを人間はやってしまう。
映画の世界ではなくて現実の世界でこれができるというのは凄い。いつだったか、プラットホームから落ちた人を助けようと飛び込み、みずから犠牲になった学生(?)がいた。たくさんのお客さんがいた中で、なぜ彼だけがそれをしたのだろうか?普段からそういう価値観を自分の生きる常識として暮らしていたとしか思えない。たぶん、彼を知る友人たちから証言を集めれば「なるほどそうか」とうなづけるトピックが集まるかもしれないし、ないかもしれない。
それから考えたら、席を譲るとか、地位を譲るとか、引退するという行為がいかに小さなことであるかと思うのである。攻める生き方には強いが、撤退戦には弱い企業風土で、これから価値ある生き方は、譲っても、引退しても、別に命を失うわけでなくて、沢山の人から大喜びされる行為かもしれない。背中を見せて黙って去る、浮き輪は渡せなくても、海に沈むのではない人生が待っている。昔、よく見たヤクザ映画の影響かな。一度トップに座り、引き際を間違える経営者をたくさん見て来て、強くそう思う。社員に愛情があるなら、彼らに浮き輪を渡して欲しいものである。(追記)自分にしか実は関心がないサラリーマン経営者の群れ、世界のトップが大半である。
情けは,為にならず。
立場が変われば,考え方も変わるのでしょうし,そして自分にとって一番大切なものも変わるのでしょう。その人の立場に立たなければ解らない事かも知れませんが,少なくても身近な人には、急に変わって欲しくは無いですね。前々々々職の広告会社で部下だった男子が2名ほどいましたが,他の広告会社に転籍後は全くの他人になってしまいましたね。仕事のからみで訪問時に,何度か呼び出して貰っても,居留守なのか出てきませんでした。名刺をデスクに置いて貰っても連絡も有りません。昔と縁を切りたかったのでしょうね。確かに,組織の規模も大きく,部長職など与えられればそうなるのかも知れません。もう一人も連絡がある時は必ず何か楽な仕事を要求してきますね。つまり,私の仕事を自分経由で回して欲しいと言うのです。正に,労せずに利を得る手法ですね。最近では,彼のためにもならないので,温厚な?私も同情しなくなりました。これって?私も変わったと思われているのでしょうか?。
人間の本性。
洞爺丸沈没事故と言えば,最近は縁遠くなった知人の父上も犠牲者の一人でした。僕はそんな事も全く知らずに,真冬は1月下旬の青函連絡船で見知らぬ北海道にやって来ました。暗黒の闇の海上で,デッキに通じる扉が吹き荒れる風と雪を船内に吹き込んでいました。あの時の不安な心境を思えば,さらにシケた台風の海上で木の葉のように揺れる船内の様子を考えただけでも恐怖を覚えます。その後フェリーで何度か本州にも行きましたが,初めての連絡船でのあの時の恐怖も忘れかけていました。船に限らず,交通機関での事故などには遭遇しないとも限りません。そんな時こそ,人間本来の本性が出るのでしょうね。今は亡き兄も大震災のがれきの中から女性を助けましたが,その女性と結婚して二児をもうけましたが,最終的には離婚してしまいましたね。現実は映画のストーリーのようには行かないものですね。
人生半ば。
電車で席を譲って叱られたと言う話も聞きましたよ。「私は老人ではありません!」とね。僕も孫たちに「ジジ!」とか呼ばれると怒る方ですから。「ジジイじゃぁ~ねえぞ!」と。彼ら彼女らもわきまえたもので直ぐさま「オジちゃん!」と切り替えて来ます。そうすれば機嫌を直した僕が「ハイよ~!」と返事を返すからです。年寄りを年寄り扱いされて喜ぶ人も居ますけど,100歳超えを目指して居る人たちにとっては未だ人生半ばなのです。一つの事(沢山の事でも)に熱中できれば時間も忘れるように,そのうち自分の年も忘れて,気づけば100歳を超えたなんて事もあるかも知れませんね。他人様から見れば只,ボケてしまったように思われるのがオチですが。
任せようにも人材が見つかりません。
僕は後輩には恵まれません。自分の技術や仕事を任せようとか教えてあげようとか考えていても,大抵の若者は頓挫してしまいます。三日坊主ばかりですね。決して厳しい訳でもなく,ただひたすらに真面目に働くだけですが,現代人は仕事に魅力を感じない世代なのか?どうかは定かではありませんが,手を挙げて志願する事も無く,こちらから歩み寄っても付いて来ない場合がほとんどです。生きるためとか,稼ぐためとか,一人前になるためとか考えないのでしょうか?。信頼できて,任せられる若者?でなくても,良い意味での仕事への貪欲?な人は現れないのでしょうか。それとも,こちらから説得して働きかけないといけないのでしょうかね。労せずに利を得る人達には任せたくも無いですが。
シニア・サポーター。
ただ一定年齢で引退するだけで後輩に譲ると言うより,後輩に良きお手本を見せる方がいいのでは。年金受給者ともなれば,給与などそれほど多くは必要ありませんから,後輩の面倒を見るサポート係として活躍するのがいいのではないでしょうか。仕事の邪魔になる存在では困りますが。