シングルマザーと農業従事。
ことしの黄金連休は20度を超える日が続いたのに、ときには日本で一番暑い30度も超えたのに、休みが終わると同時に肌寒い日が続く北海道。ことしは去年のような台風の連続で農家が打撃を受けませんように。近所の農家は昨年植えつけのレタス(ハウス栽培)が全滅、ことしはレタスをやめてジャガイモで勝負すると聞いた。30代の若い跡継ぎなので、たくさん夢を持っている。50ヘクタールの土地を借地を含めて耕しているから。最終的に農作物の加工まで自分たちでやりたい夢を彼から聞いたことを思い出した。レストラン経営まで視野に入れているかもしれない。楽しみである。
さらに現在、地元JAの若手で雑談ながら、保育所を町内につくりシングルマザーを農家の働き手として雇用できないかも構想の中にあるらしい。『そのときは 筆者の知る弁護士に書類の完備をお願いしたい』と言われている。彼女たちの住む場所は市営・道営・団地戸建ての空き屋借り上げ住宅を利用して、最低賃金を25万円として、足りない部分を市が税金で負担すれば、全国から集まってくるかもしれないし、子供が少なくなっている小学校や地元商店街も活気が戻るかもしれない。冬の間はどうするか?筆者の住む町にはたくさんの食品工場が点々とあり、常時働き手を募集をしているから、雇用をしてもらい、不足分は税金で補ってあげるよう条例を改正するということだ。
実際、25万円の賃金は子供と暮らすには決して多い金額でもない。しかし、いろいろ税金の控除を加えれば、そこそこの暮らしは保証できる。ガーデニングの町に暮らして筆者も30年。見栄の部分はほっといてもやる人はやる。団地の高齢化とともにバラつくりにも体力が要る。
そんなことより、不本意ながら子供を抱えて暮らす羽目になり、親からの支援や子供を預かる施設・人がいないと苦しい人生が待っている。そこを『どうぞこの町に住んで働いて子育てをしてください。そのかわりキツイ農業ですが、いいですか』と問いかける。これから必ずやってくる食糧危機で、食べ物を作れる人は最強の仕事に従事していることでもある。どんな仕事も楽な仕事はないことを納得していただく。
私の住宅の周りにも子連れで帰宅する女性が多い。まじに若い夫婦の子連れ離婚が多すぎるほど多い。札幌でシングルマザーを支援する活動をしている人と話すと、フェイスブックを見たと言って三重県や函館から電話が入ると言っていた。夫のからのDVを逃れるために土地勘のない北海道へ三重県から来たいらしいのだ。しかし、問題は『職』と『収入』と『保育』であることには変わりは無い。日本中、普通の暮らしができることが治安の安定や犯罪の減少、うつ病の減少、情緒の安定につながると思うのだ。小さな税金負担が結果として、大きな安心と治安維持にもつながる。
筆者も微力ながら、農業従事者から相談を受けたら、出来る範囲で助けようと思う。その程度のことしかできない私である。仕事でもそうだけど、最初のシステムづくりを誰かがしてあげると、後ろに続く人たちは運用が楽になる。最初に手をつけてお手本になるくらいの気構えで、シングルマザーのプライドを保ちながら、情に流されない恒久的なものを作り上げたらいいなと思うこのごろである。シングルファーザーとて同じである。税金の使われ方としても、町全体に再還流するわけだから有効な使われ方だと思うがいかがだろうか?
札幌より冬なら10度は寒く、夏も暑くならない土地ではあるが『シングルマザーが暮らしやすいNO1の町』を目指す意義は大きいと自負する。高齢化がご他聞に漏れず多い町で、子供のたくさんの声が聴こえてくる町にしたい。そのきっかけが農業である。ヒントは廃農した家屋を見て、私に『この家は水道もガスも使える。若い人でここに住んで農業をする人がいないだろうか?』と筆者に問いかけてきた3年前の農家の奥さんの一言であった。
見渡せば全道、廃屋だらけで、TVで悠々自適な団塊世代が、一時流行の農家暮らし(ソバ打ちやレストラン経営)を紹介する番組をしているが、そういうマスコミの垂れ流しではなく、生活をこれから始める若い世代へ、暮らしを再構築する人たちへ手を差し伸べる行政があってもいいと思う。札幌は人口190万を超えて、これを実施するには困難が伴う。筆者の住む人口7万弱の町でJAも強く機能しているからやる価値は十分にある。実現性も議院諸氏が理解を示せば意外に早い展開に持ち込めるかもしれない。
母は強し!。
シングル・マザーと聞けば,皆んなが子育てと仕事に苦しみ,気の毒な境遇の人ばかりと言うイメージが湧きますが,シングル・マザーでも強い人は大勢いますね。僕の兄の元連れ合いは男児一人,女児二人を女手で育てあげました。彼女の生きて行く方法として選んだのは住み込みで働ける大手証券会社の独身寮の賄い婦でした。長男はもともと頭脳明晰ではありましたが,最終的に京大を卒業させて大阪で教員をしていますし,長女も次女もそれぞれ所帯を持ち母親孝行をしています。僕は実兄を罪深い人だと思う反面,義理の姉の生き方を尊敬していました。元々,地方競馬の馬主の長女で贅沢に育った筈でしたが,働き者でした。夏休みに遊びに行くと何時も内職をしていました。家のローンも子供の学資も稼がなくてはいけないからです。彼女の母としての生き方を見ていて女性の芯の強さを知りました。「母は強し」ですね。
一昔前のシングル・マザー。
身近なシングルマザーでは義理の妹ですね。彼女は僕たちの早婚をあざ笑った者の一人でした。「犬や猫でもあるまいし・・・」と。その彼女は,名古屋の大学を卒業後,知り合った最初の亭主との間に男児二人をもうけて順風満帆かと思いきや?亭主が毎日毎日,愛妻弁当を持って元気よく出かける先は競馬場や競輪場や競艇場やパチンコ店だったのです。当然ながら,離婚です。しかも二児の親権も自分一人で背負って。そんな亭主は絶縁したのですが子供を育てる術は大変だったのでしょう。新しい相手と暫くは続きましたが,すぐに別れる始末でしたが,最終的には嫁に先立たれた子持ちの新しい亭主と落ち着き,その子たちも同時に育てました。自分の子供も地方の銀行員などになって立派に育ちました。きっと親の苦労を間近に見ていたからでしょう。生き方はどうあれ,窮地に立ったシングル・マザーは強いです。
seto
窮地にたったシングルマザーの選択では、それまで彼女が生きつづけるチカラをご両親から子供時代に
自然に受けていればシメタもので、余裕の部分で選択肢が広がりますが、それがないと苦しいです。
社会全体が昔と違ってずいぶん「冷たい社会」に変貌しているような気もします。同情や哀れみでは
なくて実際のヘルプが必要な人が大勢いるはずです。そこを、ひとつのモデルとしてシステム構築する
農業へ参画する提案ですね。
理解と情熱が必須。
農家出身の人たちは真面目ですよね。それは実家の農作業を自らも体験しているからでしょうね。農業はサラリーマンが定年退職後に趣味で始める菜園づくりとは全く違いますからね。スーパーマーケットしか知らない世代に務まるのかは疑問ですが,基本は農業を理解し,好きでなければ続かないでしょう。確かに自然の中で子育すてる事は子供の将来にとっても大きな心の財産になると思います。シングル・マザーの農業への勧誘ですが,もともと農家出身者で現在都会暮らしに不自由を感じているシングル・マザーなら農業に従事しても,きっと持ちこたえられると思いますね。僕などは中学まで田舎の村で育ちましたから農業も林業も多少ながら経験済みですから,窮地に立たされればできるかと思いますよ。しかし農業が嫌で都会暮らしを始めた人たちには無理があるかも知れませんね。生きるためには農業が一番の基本なんですけどね。ご本人たちの理解と情熱(やる気)は欠かせませんね。
美しい農園風景。
農業の近代化で若い世代は農業を理解し,自らも進んで参画してくるのかも知れませんね。北海道の牧場などは風景としても美しくあこがれる対象ですね。実務は大変な労働でしょうが,あの美しい牧場のように整備された農場ができれば,ごみごみした都会より,こんなところで住んで働きたいと思うでしょうね。
seto
私は肉体的に農業はダメでした。学生時代、羊蹄山のふもと真狩でビート畑の草取りを1週間して
ダウン、3年前に近所の農家で豆畑の草取り2日で腰立たず。心臓とヘルニアが良くなり、筋肉質の体格でも
あれば多少は役に立てるかもしれません。農業は人類最強の職業です。近所の広々とした田園を見ると
ほっとします。しかし、寒い。冷害にならなければいいけれど。
東京暮らしから,田舎暮らしに。
我が家は東京で商売をしていて戦災で焼け出され,父の田舎に一家で疎開したのですが,母屋や田畑や山林は父の弟の叔父さん名義に変えていたので,実家がありながら親戚の倉庫に使っていた古民家での借家住まいになりました。父は子供の頃に農業や林業の手伝いなどで半農半林業を始めることができましたが,江戸っ子の母は初めての土地で見よう見まねで田舎の仕事をしました。稲刈りでは鎌で小指を切断し,自分で30分以上も走って病院に行き縫ってもらったり,華奢な体で力仕事も沢山しました。一生懸命働きましたが,母の兄弟姉妹は13人ですから,東京が恋しくて,農閑期には一人で東京へ行きました。田舎には無い,好きな歌舞伎や相撲なども観て,東京のお土産を持って帰ってくるのが楽しみでした。後でわかったのですが,遊びに行っていたわけではなく,病院の介護職の仕事をしに行っていたのです。田舎の収入は少なく,家計を考えて現金を稼ぎに行っていたのでした。シングル・マザーでは無いですが強い人でした。