父の日 「お父さんへ もう他人だけどお仕事がんばってネ」
もう少しで「父の日」。あれこれプレゼントを考えている人も多いとは思うが・・・・。
先日、筆者の利用する駅の待合室に「母の日」と同じように用紙と鉛筆が用意され、恒例のメッセージボードが作られた。母の日は、溢れんばかりのメッセージ文が貼られていたのに、圧倒的に父への感謝メモ書きが少ない。少なかったから全部読んでみた。
ありがとうが多いねと読んでいると、「お父さんへ、もう他人だけどお仕事がんばってネ」。文面と書体から女性と思うけど、思わず釘付けになってしまった。離婚したお父さんだけど娘からの感謝だ。ジーンときてしまって、ここに紹介した次第だ。どういういきさつかはわからないが、子供にとって、何の関係もない両親の不仲と別離。子供の寂しさが伝わってきた。
私にも娘がいるから「父の日なんて何も要らないよ。無駄なお金は使わないように」と電話で言うけれど、ネクタイが2本来たり、ワイシャツが届くと必ずメッセージが付いていて「夫婦仲良くネ」と書かれている。父親の照れもあって「要らないよ」という虚勢も張るのである。『○○が欲しい』と言う父親は少ないと思う。家庭を顧みず、会社に捕捉された父親たち。
そのツケが定年後やってくる。『退屈』という病で、治療法は筆者のようにブログを書いたり、あちこち散歩に出かけたり、展覧会を見に行ったり、街中の喧騒に身を置いたりする。道の駅周りをしている。そういう父親であっても、『父の日』にプレゼントが来ると、「ああ、働いてきてよかった』と実感するものである。長電話は苦手なので子供たちとは長々話はしない。
古い資料ではあるが2016年の統計で離婚件数は25万件で既婚者の三分の一が別れる計算だ。子供たちの同級生にも離婚で子供が転校や、子連れで親元に戻る娘さんも多い。しかし、統計に出てこないのは、子供の心の中の葛藤である。そこで大事な役割がおじさんやおばさん、おじいちゃんやおばあちゃんだ。子供にはたっぷり愛情を注いで(お金を注ぐのではない)いかないと力強い子供に育たない気がする。子供は親のいないところで大人になっていくものではあるが・・・・・・。「お父さんへ、もう他人だけどお仕事がんばってネ」この言葉はお父さんへは伝わらないし、足元のお母さんもわからない。読めるのは駅待合室の見知らぬ人たちばかりである。
「父の日」逆バージョン。
これまで,父の日は余り気にしていない。多分,母の日ができた後に,父の日もあった方がいいのでは?と考えて作られたのだと思う。つまり,おまけの記念日なのだろう。父親は黙々と働き,稼いで一家を護るのが役目だから,ほとんど家に居ないことが多い。その点,母親は子供たちの面倒や家事で家が職場のようなもの。従って子供たちには母親の働きの方が身近なのだろう。父親は経済的に家庭を支えていても,やりくりは母親の役目が一般的だから,日常お金を使うのも母親。そんな姿を見ている子供たちは母親を尊敬するようになる。第一,母親のお腹から生まれて来た時点で,男はただの稼ぎ頭になってしまう。つまり,女王蟻と働き蟻のようなもの。母親はどんどん幸せ太りして,父親は疲れてやつれ果てる運命なのだ。おまけに,子供たちからは,そんなに感謝もされない事になる。今年も,多分?息子からは何もプレゼントは無く,娘からは何かしらプレゼントはあるかも知れないが,薄給からのプレゼントは,かえって気を使ってしまう。結局,父の日には,父からお小遣いをあげる結果になるのではないだろうか。
母と娘のホットライン。
プレゼントで一番うれしいのは,靴下くらいですね。ネクタイもシャツも普段着も,趣味がありますから,あまり趣味に左右されない靴下くらいがいいですね。何足あってもいいし,それほど高くないので子供たちへの負担も軽く済みますから。それとなく,カミさんに「夏の靴下買わなくっちゃぁ・・・」と呟いておけば,ホットラインで娘には必ず伝わるはず。ブランドもののポロシャツなど買って来ないうちに,今日あたり早めに呟いておかなければ・・・。
今さらながら,父に感謝。
自分が,これまで父親にプレゼントなどしただろうか?考えてみれば,帰省のお土産程度しか記憶にない。父の好きな「玉露」や「羊羹」などを実家に持って行った事はある。そのほかには,父の日とは無関係にTVをプレゼントした事はあった。豪雪の北陸で独居の父の屋根雪降ろしに北海道から何度も行った事も。田舎には大したものは無かったが,帰りには,必ずお土産を持たされた記憶の方が蘇る。父親は好きだったが,男同士で会話も少なく,一緒に暮らしたのは中学までだったので,つい忘れがちになるが,久しぶりに帰省すると,急に老けた父親が居たものです。今は亡き父に,今さらながらも感謝したい父の日です。
親への感謝は亡くなって知るものです。
僕は父親の生き方に批判的だったのですが,自分が父親になってみれば,理解できるようになりました。まずは自分より家族ありきの暮らしだったのです。それでも,その中でも自分の時間を持って,好きな読書や絵や詩や俳句や渓流釣りなどをしていたのを思い出しました。夏の朝起きると,父はいつもいませんでした。早朝から鮎釣りに行って朝食時には戻ってきます。獲れたての鮎を塩焼きにして朝食に添えてくれるのです。冬は早朝から囲炉裏に火を入れて,合掌造りを改良した吹きぬけの古民家を温めてくれています。多くを語らず,いつも何かしら家族のために動いていました。両隣はタバコ屋と酒屋ですが,お茶以外,タバコもお酒も飲みませんでした。都会暮らしから父の故郷の田舎暮らしに戻った我が家ですが,田舎でも順応できた父だけが一家の頼りでした。「父の日」には本人は他界しましたが,せめて記憶をたどって感謝したいと思います。