80歳を迎える誕生日の前後に、アカデミー賞名誉賞が贈呈されて挨拶した黒澤明の言葉であった。娘さんの黒澤和子さん「黒澤明・生きる言葉」(PHP)に紹介されていた。『まだ映画のことが、よくわからない。映画を追求して、やればやるほど手に取るように良く見えてくるので、ますます難しくなるのだ』と。

 

驚くべきことに80歳を過ぎてからいい仕事をしている画家も多い。富岡鉄斎や、梅原龍三郎、中川一政さんなど伸び伸びといい作品を残している。誰かからよく見られようとか、誰々の模倣をするとか、そういう意識の世界が消えて、自分が書きたいものを自然体で書く。反対にベストセラー作家のあとがきで書かれているのが、書いてる途中で編集者がああでもないこうでもないと「読者の代表としてコメントを寄せ」、それが結果的に売れる作品になったと御礼の一文も多い。読者という意識の介入で、結果的にそれがたくさんの収入をもたらしている。

 

それが、80歳を過ぎると、もうそういう他人の意識や言葉には左右されない、本来の自分のありのままを出せる。ありのままを出すのはほんとうはむつかしいことで、いつ死んでもいいからこれを残すぞという決意か自然体がないといけない。黒澤明が30本の映画作品を作って、世界の映画文化に貢献した授賞式でも、まだまだ映画はわからないと言う。83歳のときの公開が「まあだだよ」。「雨あがる」のシナリオ製作中に倒れたのが85歳だ。わかるということは、わからないことがさらに増えることだと思うこのごろである。自分が一番わからない。

 

現在、ブレークしているのが佐藤愛子 94歳(大正12年生まれ)。『90歳、何がめでたい』がバカ売れ。人は人、私は私を歩いてきた人である。しかし、映画作りは作家と違って、集団の芸術(音楽・シナリオ作家・助監督・俳優・美術・照明・立ち回り指導・宣伝・関係者に出す弁当屋さん、資本家の東宝・フィルム現像所・撮影に協力する民間企業各社など)で、各担当者に気配りしなければいけない。「映画はお金がかかるから、あの世まで追いかけてきて、文句を言われるに違いない」(黒澤明)

  1. 見えないエピソード。

    芸術家と言われる作家の人たちは自身のセンスと技術で人生を歩んで生涯を終える訳で,外から見れば一見,実に幸せな人生だと思うのですが,世間に認められて花が咲くまでは悲惨な長い生涯を過ごして来た方も多いと思いますね。生涯を創作活動に没頭すると決めるまでは迷いもあるでしょうし,成ったとしても先の見えない不安な日々は続くわけですね。成功した芸術家の方々には生まれ持っての環境が有ったり,それが無くても必ず理解して支援してくれる人たちが居るものです。私たちは作品しか知りませんが,作品の制作過程には見えないストーリーが隠されているのでしょうね。そこには作家以外は知らない人たちの関わりも。

  2. 見えないエピソード。

    巨匠と言われる人ほど謙虚ですね。反対に中途半端な作家ほど立派な事を言ったりするものです。きっとそれは彼らの世間体であり理想論なのでしょう。達観した巨匠たちは世間体など気にしませんね。ありのままに生きている感じですね。時には世間には迷惑な事ですらやってしまいますね。電柱を切れ!とスタッフに命じた黒澤明のように。

  3. 芸術家が少ない訳。

    芸術一筋に打ち込むことは相当の覚悟が要りますね。私たち普通の人たちはスタートが「先ず食べること」を優先順位としていますから,お金を稼ぐことから始めますね。そしておなかが満たされれば「趣味」をやったりしますが,それもお金の余裕があってこそできるわけです。天才と言われた監督作品の映画を観たり,巨匠と言われた作家の書籍を読んだり,芸術作品を鑑賞したりしてまるで自分も芸術に参加しているような錯覚のひと時を過ごします。そして,また次の給料日を楽しみに働くわけです。芸術家は給料なんてありませんからね。お金を得る手段としては自分の作品を売ることしかないでしょう。つまり買い手が見つかって初めて収入になるわけです。次の給料日なんて何も約束されていません。また,芸術家はおうおうにしてビジネスは苦手ですから,一生売れずに,亡くなった後の遺作が有名になったりもしますが,ご本人の知らないところで評価されても残念と言うほか言いようがありません。こんな芸術家はたくさんいるでしょうね。こんな結果でさえ覚悟しなければ芸術に打ち込むことはできないでしょうね。

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