クレオパトラの鼻が・・・。 1047本目
クレオパトラの鼻が短ければ歴史は変わっていたというパスカルが言ったということばを思い出して、実際はどうなんだとパンセを図書館から借りてきた。本棚にあったパスカルの本は書物大整理で捨ててしまった。原文はこうだ。『人間の空しさを十分に知ろうと欲するものは、恋愛の原因と結果を考察しさえすればよい。その原因は私にはわからない何かであり、その結果は恐るべきものである。この(私にはわからない何か)、ほとんど認められないほど些細なものが全地を、王侯を、軍隊を、全世界をゆるがす。クレオパトラの鼻。それがもっと短かったら、大地の全表面は変わっていたであろう』(人類の知的遺産シリーズ パスカル207p)。
最初、私は歴史は偶然の何かに左右されると思い込んでいた俚諺であったが、実はこの話は恋愛の本質についてパスカルが書いていたのだと発見した次第だ。私の身の回りにもたくさんの結婚・離婚・悲劇・喜劇がある。結婚が続いているからといって幸福とは限らないのも本当なら、離婚したからといって不幸とも限らない。今なら離婚してハッピーな人も多いかもしれない。自身を振り返れば、38年前のあの日、友人との約束に10分遅刻しなかったら筆写は今の妻には遭遇しなかった。過去、一度だけ会ったことがあるがお互い『いけすかない奴』でおしまいだった。地下鉄の階段で10分遅刻したので遭遇できたのである。学生時代の私とすっかり変わっていたらしい。
パンセのように『その結果は恐るべきもの』ではなかったが・・・縁とは不思議なものである。芸能ネタ・政治ネタでも結婚・離婚・不倫記事はよく読まれる。読み手の経験や体験から理解しやすい、下半身の暴走はわかりやすい。しかし、発展して殺人やテレビジャックまで進展すると『いい加減にしてくれ』となる。せめて養育費用負担や財産分けまでにして、弁護士入れて身内で静かに話し合って欲しいものである。しかし、弁護士が入るなら持てる者の案件であるが、貧しい庶民はさらに貧困に入ったり、子供に余計な精神的な負担を強いることになるのであるから、ゆめゆめ大人だけの判断でことを決するなかれである。
クレオパトラはシーザーを愛人にして、彼の力で一度失墜した女王の地位を取り戻し、シーザーが暗殺されると次はアントニウスを取り込み子供までもうけるが、アウグスツスに滅ぼされる。エリザベステーラーの『クレオパトラ』の印象が強すぎて実像がイメージできない筆者である。歴史のf問題というテーマがある。『もしあのとき何何であればこうであった』という仮説である。無意味という人もいるが、『今の自分を客観的に考えるにはとても大事な視点ではあると』筆者は思う。思考訓練、想像力訓練、未来の事案が出てきたときの解決のヒントに十分なるからだ。