コーヒーブレーク 1050
寒いですね。私の住む町は新千歳空港の近く。ここは札幌より10度も温度が低い日があります。私は札幌から引っ越してきて、太平洋に近いのだからここは冬は暖かく雪も少なく、夏は暑いはずと思い込んでいましたが全く逆でした。冬はここは恵庭岳や樽前山と夕張山地に挟まれて盆地の様相を呈していて寒いのです。夏は苫小牧方面から涼しい風が入り、山々のせいか雲が多くてどんよりします。カラッとした札幌から戻るとひんやりした夏。この気候がウトナイ湖の湿地帯を形成します。その中に新千歳空港があります。真夏に濃霧がかかり、飛行機が欠航することもあります。
新千歳空港の近くに『美々(びび)』というJRの無人駅があります。普通電車でも(通過駅)で有名ですが、ここには縄文時代の美々貝塚が残っていて、車で見に行ったことがあります。昔は太平洋からここまで細い川がたくさん流れていて陸地に食い込んで、縄文人は美々を越えて恵庭の柏木川までやってきてます。この縄文人の正体は一体誰?という問いも成立します。千歳市のHPにある美々貝塚の資料にも縄文人は縄文人とだけ書いてあり、太平洋アイヌだという説を唱える人もいます。当然、オホーツクアイヌもいれば、日本海側にもいるので江戸時代になれば書き物がたくさんあるので資料からわずかにわかるにしても、アイヌは文字を持たず、伝承で親から子へ孫へと伝わるユーカラが主な記録で、文字を持つ和人側からの記録しかありません。
いったい縄文人の正体やいかん?です。私たちは小学校から縄文と弥生という時代区分を教わり、弥生が縄文より上等な文化的な暮らしをしていたような錯覚をしていますが、貧富の差や仲間を助ける生き方は、縄文時代のほうが優れて人間的な場面も多いのではと妄想するときがあります。私たちはいろいろな物に囲まれていて、人間の本質が隠されているかもしれず、縄文人の生き方は今の価値観から推理するしかありません。生きる上で、縄文人のほうが知識と技術において狭い専門で生きる現代人よりひょっとしてすぐれているかもしれない。
しかし、生き方はいろいろな物の使い方にも反映されるはず。昔から『子供に刃物を持たせると危ない』と言われています。まだ石の斧や棒切れなら数人を殺すくらいで済むかもしれません。しかし、核開発やネットワークによる言葉の暴力の氾濫を見ていると、人間は『まだまだ、どんな大学を出ていようと子供の域を出ていない』と感じるこのごろです。どこかで、人間の進化が間違ってしまったのかなと疑念を感じるこのごろです。見えないところで突然変異がおきているかもしれません。昨今のネットサイバーテロを含めて悪意の人たちが跳梁跋扈する現実。自身にしても神や仏ではないから、せめて自分がしてほしくないことは他人にはしないくらいの生き方を続けたいものです。
明日と明後日は『ビットコインについて』投稿原稿です。
昔の少年。
人間の進化は或る時期を境目に止まっています。今は退化の時代です。中には少数の優れた人間も居ますが、殆どの人間は現状に足踏み状態です。中には環境破壊や犯罪や戦争崇拝など人間のみならず生物全てに危害を与える者達さえ増殖傾向にあります。少数の民族間ならまとまる意見も、独裁意外にまとまる方法も無い現状です。議論はしても答えが出ない机上の空論ばかりです。国盗りの時代の再来のように、武力で国土を増やしたり、経済水域を無謀な方法で確保したりと、共存共栄どころか一国独裁をもくろむかのような動きは止まりません。指導者とされる人格の欠如と大樹の陰に寄り添う社会構造は一朝一夕にして変わる様子はありません。この状態は長年常態化し、改革ののろしを上げるヒーローはいつ現れるのか?
seto
久しぶりの『昔の少年』さんの再登場、嬉しく思います。読者は私のブログよりコメントを読まれている気がします。
危機になったときに登場する月光仮面ですね。人間それぞれのおかれた部署で専門性を発揮しているわけですが、果たして
それが必要なの?という基本的な問いには無頓着です。全体をグランドデザインできる能力やアイデイァが共有されて
いないのですね。大風呂敷とはいえ田中角栄の『日本列島改造論』は実行と迫力がありました。青森・北陸・信越の大雪・除雪
を見ていると、20センチの雪で右往左往する首都圏との日常生活の差を痛感します。果たして現在使ってるパソコンやITが
いつまで続くかわかったものではありません。電気がなければフェイドアウトですから。小泉進次郎郎あたりが舵を取る日がきたら
若い人たちが、動かし始めると思いますが。青写真が消えた世界です、日本だけではありませんね。仮想通貨も『国家が邪魔』な
発想で、さらに銀行も邪魔・・。エゴむき出しの世界、人間は人間に対して狼が復活している気もします。後は『金』『金』で身を
守るです。