8月7日、岩内で仕事の手伝いがあり、2時間の空き時間を利用して岩内郷土博物館を覗いてみた。画家木田金次郎の立派な個人美術館もあるのだが、筆者は博物館が大好きなので「松浦武四郎の岩内踏査」の資料もあり、見に行った。お客さんは私ひとりであったから、館長が出迎え『差支えなければ、説明をいたしますが』と丁重に遇された。

岩内大火の資料では、『飢餓海峡』の作家水上勉の資料が豊富であった。昭和36年に文芸春秋社の文化講演会が水上勉、柴田錬三郎、臼井吉見3人で行われた。博物館には宴会の席で色紙がなくて、白いハンカチに水上勉がしたためた文字が書かれてあり展示されていた。さらにアスパラガスが最初に植えられたのも岩内。1924年に成功して缶詰として欧米に輸出開始、ビールの原料のホップも野生で発見したのがお雇い外国人トーマス・アンチセルだ。茅沼炭鉱付近だ。ホップの資料は札幌のサッポロビール本社から寄贈されて展示されてある。

さらにびっくりしたのが木彫りの母子像の彫刻で、大きな外枠に囲まれていたのだが『後ろを見てください』と館長から言われてみると、『この少し縦と横の浮き上がった線は十字架を表していて、ある学者は、この母子像は隠れキリシタンではないかと言っています』と。そう言われてみると確かにセンターに十字架に見える浮彫がくっきり見える』。岩内を南下すると瀬棚という町があって、ここにキリスト教会があるのは筆者は知っていたので、日本海側に沿ってキリスト教徒が北上しているさまは想像できる。瀬棚にも木造の最古の教会がある。岩内まで北上してもなんら不思議ではない。(調べると1892年、埼玉などからキリスト教徒が農村へ移住してインマヌエル教会を作っていた)。

1856年には北海道最古の炭鉱(茅沼炭鉱)が掘削を開始している。北海道初の水力発電も1906年に岩内で始まっている。函館に次いで2番目に馬車鉄道も走っている。1905年日本最古のリードオルガン(現在も弾ける・横浜の西川オルガン製造)も置いてある。当初の松浦武四郎への興味は急激に失せてしまった。『北海道』と命名されようが『蝦夷国』と命名されようが、どうでもよくて、縄文やアイヌ、シベリアとの関係、松前藩のこと、日高の金の運搬と本州からの野心家の来道、平泉の金がどのくらい日高の金を使っているか、その金が中国の貿易で決済として使われているか、同じアイヌでも仲のいいアイヌと悪いアイヌの欲をめぐる戦い、官製の北海道史のきれいごとには私は興味を失っていることに気付いた。日本海側の文明度の高さには目を見張るものがありそうだ。さらにアイヌ文様がシベリヤや遠くケルト文様とどうつながっているのかという興味にも惹かれる。

地方の博物館にはまだまだたくさんの宝ものが館員自身気づかないことであっても残っている気がする旅であった。函館市立博物館でもお雇い外国人が函館戦争でたくさん幕府側で戦い戦死したフランスの兵士の写真を見たとき感動してしまった。博物館は歴史のドラマを再現してくれる。月形刑務所でも死刑囚の最後の手紙を読んで泣いてしまった。ここまで下手な文字を書けるのかといわんばかりの文字であったが、母さんへ父さんへ書いた感謝の文字は忘れない。

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