久しぶりに養豚業の経営者から(穂別町)
豚屋です
皆様お晩でございます。
雨ばかりで嫌ですが、涼しくなり助かりますね。
先週、私が、豚屋を志し、3年間修業した養豚業者の社長さんが他界されました。
先週はお手伝いの1週間でした。
皮肉にも、7月2日の父の葬儀の席に来てくださった、社長さんと交わした会話が、最後の会話となってしまいました。
葬儀は、最大限に協力しなければと、お手伝いしておりましたが、
葬儀が簡略化される現代、会葬者の面々見ておりますと、非情なほど、人間関係、さては、日ごろ、体よくしているのに、いざという時の行動で現れてくるものですね。
人材難のなか、労働力不足で父の通夜直前まで農場で仕事し、みんな後は頼んだぞと言って、通夜会場へ向かいました。
職員から、我々行かなくていいのか?と言葉が出ましたが、それは親父も自分も望んでいない。
みんな、留守中農場を頼むと言って、出てきました。
それから一月後、恩師の葬儀を前にして、次々と求人が叶い人手不足は解消しました。
自分は元来、このような考え方はしない男でしたが、父が最後恩師の葬儀を予期し親として息子に自らの命を使い葬儀の練習の場を与えてくれ、その父と恩師が、練習を役立てるように、求人をかなえてくれたのかなと思うようになりました。
坊主の孫。
不思議と、お盆には昔の事や、お世話になった方々を思い出すものですね。お盆近くになると、先ず2年前に僕より若くして胃がんで他界したカメラスタジオの社長のお宅にお供物の果物を届けます。昨年は富良野メロン4玉入りの箱、今回はでんすけスイカの大玉箱、当然ながら本人はこの世には居ないので不在ですから玄関先にそっと置いて早々に帰ります。箱の中に下手な句の短冊を一葉入れます。それから寺は本州ですが、同宗派の豊平のお寺へ、雀の涙程度のお布施をあげて先祖や親せきへお詣りしますが、大きな顔もできないので早々に引き上げます。その次にペットの焼却をしていただいたところの合同碑にお詣りします。家には仏壇前に回り灯篭に灯を入れます。お盆でなくても毎日毎日、仏壇には炊き立てご飯を備えて、大切な人やペットたちを思い出し手を合わせています。長男が無くなり、次男も幼くして無くなり、末っ子の僕のところに仏壇を置いています。かといって仏壇だけでなく神社へも参拝に行きます。田舎で育ったので、今では仏教や神道などさほど深く関係はしていませんが、子供のころからのしきたりが身についたのでしょうか。神社の前を通れば、いつでも、ためらいなく自然と柏手を打っていますからね。
seto
筆者は次男・次女の両親で、神棚なし仏壇なしの暮らしを20年間しているので、お盆に墓参りの行事があることや
神棚でどう手を打っているのか、知らぬ世界で生きてきて、ある日、お墓参りが羨ましくなって、同級生の納骨堂に
連れていってもらったことがあります。神にも仏にも不自然な態度をする私の原型は、幼いときからの習慣のなせる
わざと合点がいくところです。