北杜夫『ドクトルマンボウ航海記』が読まれたころに、私は船員になろうと小樽の船員組合に行き『船乗りにさせてください』と行ったが、『あなたの体型なら無理ですからお帰りください』と言われたことがある。何の資格も持たず、無鉄砲な青春時代であった。自分自身、どう生きていったらいいのか迷ってる時期で、エイヤーと船乗りに向かったのである。実はきょう、国交省の船関係の人と話をしていて、『船員が足りない』話を聞いて、ぜひ身近な人間で陸より海で仕事をしたい人がいれば推薦して欲しいとブログを書いた次第だ。いろいろ勉強ごとや資格試験もあるから調べて受験してほしいものである。私が船員の給与について聞くと『全然、陸上より高いです』と断定したので、稼ぎたい人にはうってつけ。オフィースビルや陸上仕事ではないが、いまは最新鋭の設備があるから、船を動かす人員も少なくて済むのだとも言っていた。どうして魅力的な仕事ではないかと筆者も思う。滅多に船関係の人と話す機会がこれまでなかったので、自分が24歳ころに志願した船乗りを思い出させてくれた。そういえば小学生のときに船長さんになりたかったと作文に書いたことまで思い出した。何がきっかけで思い出が芋づる式に出てくるか、わかったものではない。記憶の不思議さである。来年1月に苫小牧と仙台に太平洋沿海フェリー『北上』が新しくなる。

詳しくは、下記のアドレスで。暮らし向きがきっと良くなりますよ。

http://www.uminoshigoto.com/sailor/become_a_sailor.html

トラックドライバー同様、物流の要が少ない。

かのシャーロックホームズを書いたサー・コナン・ドイルはインドに向かう船医であった。ワトソン君に反映している。

  1. 僕の父も長男でありながら家出して京都で丁稚奉公していたのですが、或る日神戸港に行き外国航路の貨物船の船乗りになったのです。最初は皿洗いなど自分に出来る事をやったらしいですが、中国に降り立った時に独りで歩いていると中国人に囲まれて投石されたらしいです。その後は東京に降りて陶芸家を目指し、九谷や桐生などで修業して、一時は小樽や美瑛にも来たらしいですが、東京で結婚して自分の窯を持ち商いを始めました。船員の給料は良かったらしく東京で自立できたようです。

    • 船との人生交差多かったのですね。お父さんも船に乗らないと、後の人生も変わりましたね。しかし、あのとき
      あれがああならば・・・は、想像していると悲しいやら嬉しいやらで、今の自分がいたのかどうかもわかりません。
      父と母が交差していない可能性が高くなりますから。

  2. 私が札幌で、しばらくお世話になった朝日新聞の販売店主は九州出身で生真面目な方でした。元は外国航路の船乗りだったそうです。何でも小澤征爾がまだ若い頃、ベスパのスクーターと一緒に乗船させたらしいです。イタリアに彼を降ろしたらしいですが、まさかあれほどになるとは思いもよらなかったようです。彼もお金が無い時代でしょうから船員に交じって船上で労働したのでしょうか?船乗りの給与は相当だったらしいですからね。僕が間借りさせていただいていた新聞販売店の二階の隣の部屋には店主の高校生の息子さんが海洋大学を目指して勉強をしていました。彼は今頃は大きな船の船員になって居るのでしょうか。

    • 三保の松原に行ったときに、富士山は綺麗でしたが、気になったのは東海大学の海洋学部でした。ここに深海に行く
      潜水艦があったはず。見たかったです。私も海に向うのですが、蓮見重彦という元東大学長の奥さんがフランス人で
      彼女が(ニホンには国境線がない)と彼に日本海を見ながら語った文章があって、日本人の外交感覚が鈍いのは実は
      国境線意識の希薄化に比例しているかもしれないなあと思いました。電車の中でサラリーマンが外交の話をしているのを
      聞くのは稀です。そういう意味で海は、船乗りはいい外交官をつくる勉強台ですね。

  3. 津軽海峡冬景色

    船と言えば、その昔、独り身の時に無謀にも真冬の1月末に北海道に来た時は、青森から青函連絡船に乗りました。深夜の津軽海峡は真っ黒でデッキに横殴りの雪が吹き込んでいました。この先どうなるのか不安と希望が入り混じり落ち着かないままに札幌に落ち着いて数十年も経ちました。その後も飛行機より大型フェリーを好んで自家用車を載せて本州に何度も行きました。最近では何でもスピードアップでフェリーに乗る事も無くなりましたが、仕事が無ければ,フェリーもいいですね。

    • 私も青函連絡船に東北の大学受験で乗りました。あのころはパニック障害はなかったはずで、飛行機より
      船が私の心身に合ってるかもしれませんね。私は飛行機のチケットの買い方、今でも知りません。旅行代理店
      へ行くだけの昔の人。しかし、北海道から本州へ行くと、(同じ国なの?)という驚きがありました。屋根や
      柿の実など風景が全然違うのですから。気候を含めてアイルランドやスコットランドの風景に似ているといわれ
      ジャガイモもたしかスコットランドから移植されたはずです。船は異国感をじっくり味わわせてくれますね。

  4. ゼロ戦パイロットの弟。

    大阪に一人暮らしをしていた頃、挫折感で雑誌に掲載されていたベトナムのメコン川での輸送船の乗組員に志願しようかと考えた事がありました。デザインなどの安給与に比べればけた違いの報酬に引かれたのと、若いうちに冒険したい一心も手伝ったのでしょう。主に米軍の軍事物資の運搬が目的の高速小型船舶ですが、当然ながら弾薬や食料や燃料などを運ぶのでしょうが、ベトコンが両岸に潜んでいるところに、いくら機銃など重装備の高速艇と言えど、ロケットランチャーなど喰らえば一ころです。今思えば、神風特攻の兄の血を引いたのでは無いかと背筋がゾッとします。

  5. ゼロ戦パイロットの弟。

    大阪に一人暮らしをしていた若い頃、挫折感で雑誌に掲載されていたベトナムはメコン川での輸送船の乗組員に志願しようかと考えた事がありました。デザインなどの安給与に比べれば桁違いの報酬に引かれたのと、若いうちに冒険したい一心も手伝ったのでしょう。主に米軍の軍事物資の運搬が目的の高速小型船舶ですが、当然ながら弾薬や食料や燃料などを運ぶのでしょうが、ベトコンが両岸に潜んでいるところに、いくら機銃など重装備の高速艇と言えど、ロケットランチャーなど喰らえば一ころです。今思えば、神風特攻の兄の血を引いたのでは無いかと背筋がゾッとします。

    • 大阪といえば横に神戸国際港がありますから、世界につながる神戸ですね。母の初恋も船乗りで還らぬ人になり、
      人生が今の父親とお見合いして狂ったそうです(笑い)。大阪で暮らしていた少女時代ですね。宝塚自慢ばかり
      していました。諺に船員を(港、港に女あり)がありますが、わかるような気もします。さしづめ今なら機長は
      (各エアポートに女あり)でしょうか?国際線でも同じらしい。羨ましいやら面倒くさいやらです。金があると
      女・酒・博打・株・・古代から変わりません。

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